くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
創世記8章21節
人のゆえに地を呪うことはもう二度としない。人が心に計ることは、幼い時から悪いからだ。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書3章17節
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示された旧約聖書のことばは、いわゆるノアの洪水が起きた後、神がこの世界に対してなされた宣言です。ノアの洪水は、神がつくられた世界をリセットし、本来のかたちに回復するための手立てであったと私は理解しています。しかし、神によるこの宣言の言葉は、神がこのようなかたちでの回復を望んでいないということの表れであるとも私は感じるのです。
神は「人が心に計ることは、幼い時から悪い」ということをも述べておられます。神に背中を向けて歩もうとする人間の選択というものを、神は決して阻止することはなさいませんでした。結局のところ、人間がどれだけ頑張っても神のようには決してなれないことを人間自身が自覚しない限り、この世界に究極的な平和が訪れることがないのだと。そのような人間の自覚無しに、どんなに災いを降りかからせようとも、暴力的ともいえる行動をなそうとしても、その意味はないのだということを、神はよくご存知なうえでの宣言だったのだと私は受け止めたいのです。
神による人間への譲歩の歴史は、人間が神の譲歩に気付くことによって、神に背を向けて歩むことよりも、神とともに生きることのほうがはるかに意味があることを物語るものです。その究極的なかたちとして、ご自分のひとり子をイエスという人間として私たちに与えられることで実現されました。その目的が私たちを断罪するためではなく、私たちを本来あるかたちに回復するためのものであることを、今日の新約聖書のことばは示しているのだとあらためて感じさせられるのです。
自分で背反したことのツケは自分で払わなければならないというのは、この世の常でしょう。しかし、大切なのはツケを払うにしても、その意味というものを理解しない限り、ツケを払うことが何かに強制されながらしているのだという意識を、私たち人間は抱くようになる。この意識こそが「人が心に計ることは、幼い時から悪い」という神の言葉の真意なのでしょう。
だからこそ、救い主イエスが私たちに与えられたという真実に心を寄せたいの思うのです。今日のふたつの聖書の言葉を通して、私はそんなことを受け止めたいと思ったのです。今日という一日もまた、イエスによって自分の心が整えられることを祈りつつ過ごしていくことができますように。皆さんの主イエスとともにある生活が幸いを生むことを、心よりお祈りします。
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