16/02/2025

2025.2.16(日)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書40章29節
主は疲れた者に力を与え
勢いのない者に強さを加えられる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二12章9節
ところが主は、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるのだ」と言われました。だから、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
新しい一週間が始まりました。今日、私は台湾基督長老教会国際日語教会で礼拝説教を担当します。日本を愛する台湾の方々によって建てられた日本語教会であり、長い歴史をもっています。現在は日本基督教団から派遣されたうすきみどり宣教師が、伝道牧会の任にあたっておられます。午後に礼拝がおこなわれますので、ゆっくりとした午前のひと時を過ごしています。
 
さて、今日の礼拝でも聖書の言葉としていただくのは、今日のローズンゲンにも示された第二コリント書の有名な言葉です。「我が恵み、汝に足れり」。神が使徒パウロに対して、私は十分な恵みであなたを満たすのだと、パウロは神からそのように示されていることを手紙に記しました。しかし、実際にパウロの身に起こったことは決して恵みとは言い難いものでした。パウロは福音を宣べ伝えることによって起きる苦難や迫害について触れ、また持病という「とげ」に苦しみ続けました。何度も神にそのとげを取り除いてくださいと願ったと、手紙に書いている通りです。
 
一方で、神から十分な恵みをいただいているというパウロの自意識は、実際に彼の身に起きていたこととは別次元で語られていることがわかります。いや、パウロは実際に苦しんでいたからこそ、その苦しみの向こうに神からの慰めを必要としていたし、確かにそのことによってパウロは自分の弱さと向き合いながらも、神によって強くされていることを実感していたのでしょう。神の強さがあるからこそ、自分の弱さを自覚できるし、神によって生きるという強さが与えられていることに、素直に喜べていたに違いないのです。
 
とかく強さがもてはやされるなかにあって、自分自身のなかにある弱さを自覚することの幸いこそ、神とともに生きる幸いなのだと。そんなことを胸にして、新しい一週間を過ごしていきたいと心を新たにさせられました。明日日本に帰ったら、通常の生活に戻ります。たとえ大変なことがあっても、主によって日々を祝されながら、恵まれながら生きることができますようにと祈ります。皆さんもどうぞ素敵な一週間を、主にあってお過ごしください。お祈りします。

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