11/02/2025

2025.2.11(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
レビ記19章15節
弱い者に偏ってかばってはならない。強い者におもねってはならない。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヤコブの手紙2章1節
私のきょうだいたち、私たちの主、栄光のイエス・キリストへの信仰があるなら、分け隔てをしてはなりません。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今日は日本では「建国記念の日」ですが、この日は神武天皇が即位した紀元前660年1月1日(旧暦)に由来していると言われていますが、この日をキリスト教の多くでは「信教の自由を守る日」として、日本国憲法に定められた信教の自由が意味するところの「信じる自由」「信じない自由」を大切にする日として守り続けています。私は、日本基督教団東海教区北信分区(長野県北部)の2.11集会に招かれて、カルト宗教についてのお話を担当します。こういう時にこそ、神を信じるとはどういうことなのかを、あらためて考える機会となれればと心から願うばかりです。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するテーマは「神のもとに私たちはみな同じである」と受け止めました。ただし、こうも考えたのです。本来はそうであるはずなのに、私たちのあいだではそうでない現実があることを、私たちはいかに受け止めなければならないかと。
 
つまり、神にあって私たちにないものとは、ひとつの視点で公平に物事を見て、それを扱うということなのかもしれません。私たちはどうしても、その時の情に流されやすい存在なのかもしれません。情があること自体、決して悪いことではないのですが、感情に振り回されて、健全な判断ができないということに問題があるのだと、私自身を振り返っては思わされるのです。
 
繰り返し想うことなのですが、私たちにとって大切なのは、神の視点、キリストの視点というものをもって、世のなかの動きを観察すること、物事を判断し決断するというセンスというものを、神の御言葉を通して、聖霊の助けをいただきながら謙虚に受け止めていくことなのだと。そのための黙想を大切にすることで、聖書の言葉を文字面で利用することから解放されたいし、聖霊様の導きという看板を持ち出して、聖書の一部だけを取り出してそこだけを強調することからも逃れたいと心から願わされます。
 
それが結果的に、決して分け隔てをしないという、神の視点に自分自身を合わせて生きるということへとつながっていくのでしょう。そうなることを心から願いつつ、今日の一日を過ごすことが出来ますように。お祈りします。

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