05/12/2024

2024.12.5(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
ゼカリヤ書8章19節
真実と平和を愛せよ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙4章7節
あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

******
 
皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するワードは、昨日に引き続き「平和」という言葉でした。昨日とはまた違った視点から、今日の聖句を通して黙想したいと思います。
 
今日の旧約聖書であるゼカリヤ書8章19節の終わりの言葉が、今日のローズンゲンとして選ばれています。真実と平和を愛しなさいと。大切なのは、この真実と平和というものがどういうところから来る真実であり平和であるかということです。真実にしても平和にしても、聖書で語られているこれらの言葉は神である主ヤハウェを起源としたものです。主のご性質、行いと言葉を通してご自分が十分に信頼に足る者であり、その信頼をもって私たちを取り扱ってくださるときに、私たちは真実を愛し、その結果神がくださる平和をも愛することができるということなのです。
 
ですから、これらの言葉は「神の真実」「神の平和」と具体的に述べることができるものなのです。そして、真実という言葉は「信仰」という意味でも用いられるものです。信仰とは私が神に向かう姿ということ以前に、「望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するもの」(ヘブライ人への手紙11章1節)です。つまり、父なる神の御心を100%体現された救い主イエスご自身そのものが「信仰」のかたちであり、それが「真実」であるということなのです。
 
つまり、信仰の実体であるイエスが私たちに言葉と行いで向かわれているからこそ、そのイエスに私たちは視線を向け、身体を向けて歩むことができるのです。見えないかたちを追い求めて空しい思いをするのではなく、私たちのほうへ向かい来る真実と平和が確かにあるということを私たちが受け取り、イエスとともに歩むことが大いに許されているのだと私は考えています。
 
のちに使徒パウロはそのことを「あらゆる人知を超えた神の平和」と表現しました。真実とか平和というものが、私たちの限界ある範囲のなかで考えられるのではなく、私利私欲から動くのでもなく、私たちの想像もしない仕方で神がご自身の真実(信仰という意味も含まれることを考えるならば「信実」という言葉でも良いかもしれません)を救い主イエスを通して、聖霊様のお働きをもって私たちの心と考えを支配されるときに、そこには平和の種が宿され育まれていくことを私たちは受け取って、今日という一日を過ごしてまいりたいと願います。
 
皆さんの一日に、平和の主がともにありますように。お祈りします。

0 件のコメント:

コメントを投稿