くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書48章18節
私の戒めに耳を傾けさえすれば
あなたの平和は川のようになり
あなたの正義は海の波のようになるであろうに。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヤコブの手紙3章18節
義の実は、平和をもたらす人たちによって平和のうちに蒔かれます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するワードは「平和」という言葉でした。そのことについて黙想したいと思います。
イエスがお生まれになられたとき、その知らせを天使たちの賛美によって受けた羊飼いたちが耳にしたのは「いと高き所には栄光、神にあれ 地には平和、御心に適う人にあれ。」という言葉でした。この地上に平和が神の御心に適う人たちとともにありますように。その言葉が羊飼いを通して後の人々に知らされ、今日私たちはその言葉を聖書から聴くことができています。
平和は神の御心に適った人々のもとに与えらえるというのです。私はこの言葉を原理主義のようなとらえ方として読むことの危険性を思うのです。なぜならば、そのような原理主義的な思考こそ、平和とは逆行する世界をつくりあげてしまっていると感じるからです。ですから神の御心に適った人々というのは決して、私たち自身を「特別視」するものではないのだと私は思うのです。特別視することでおのずと優劣というものを付けて自分自身を祭り上げる結果になるというのが、私たち人間の悲しい性なのです。
そうではなくて、神の御心に適うというのは他人と比較しなくても自分自身がまず神の御前に誠実に生きることなのだと思います。その誠実さとは、神の御心を自分自身の生き方とするべく聖書の言葉に聴き、聖霊様の助けによって黙想し祈りつつ神との対話を地道に営み続けることなのでしょう。そのような生き方を神は私たちに促し導いてくださるなかで、私自身の心に神の平和が宿り、その平和が分かち合われるところにこそ「地には平和」という言葉が神によって実現していくことを実感できるのだと私は信じたいのです。
神が平和をこの地上にもたらされるために無くてはならないものこそ神の義、つまり神が正しい御方であるという事実です。そして今日の新約聖書の言葉にもあるように、神の義によって生み出される実こそ平和であるということなのだと私は思います。それを今日の旧約聖書では「私の戒め」、つまり神御自身が私たちに与えられる命令を通して、神が義なる御方であることが明らかにされるというのです。
自分の正しさで生きるのではなく、神の正しさによって生かされることの幸い。この幸いがすなわち平和の礎であることを想いつつ、今日の一日もまた過ごしてまいりたいと心から願います。どうぞ一切に、神の平和が義とともに豊かに私たちの心に宿りますように。心からお祈りします。
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