くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
サムエル記上10章6節
主の霊があなたに激しく降り、彼らと一緒に預言して、あなたは別人のようになります。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙8章16節
この霊こそが、私たちが神の子どもであることを、私たちの霊と一緒に証ししてくださいます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
******
皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するワードは「霊」という言葉でした。そのことについて黙想したいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、イスラエルの指導者であったサムエルがやがて後継者となるサウルに油を注いだときのシーンです。サムエルは士師(裁き人)として、イスラエルの民たちに間で起きたあらゆるトラブルの解決にあたっていましたが、やがて民たちのあいだから自分たちを治める王を求める声があがり、サムエルは王としてふさわしい人材を探し求めました。
しかし、サムエルは自分の意思でそうしたのではありませんでした。あくまで神の指示にしたがい、神の御心に聴きつつ最終的にサウルという人物にいたったのでした。サムエルがサウルに対して語った言葉が今日の旧約聖書の言葉です。サウルが王になることにより、神である主ヤハウェの霊がサウルとともにあり、サウルは霊の働きによって神とともに王としての働きがなされるということをサムエルはサウルに伝えました。
つまり、サウルが王としてふさわしい人物として見い出したのは神御自身であり、そのふさわしさがふさわしさとして用いられ続けていくためには、油が注がれるという儀式だけではなく、それ以上に神が送り注がれる「霊」の働きなしにはありえないということをも意味しました。ですから、サウルにとって必要なのは神の霊によって生きることでした。具体的には、神の霊に込められた神の思いや願いというものをサウルが受け取って生きる事だったのです。
しかし、サウルは最終的には神の霊が指し示す生き方をしませんでした。王という目に見える権力をふりかざして王という役職に依存して生きました。その結果、神の霊の存在をないがしろにして自分の思い通りに振舞った結果、悲惨な結末を迎えることになりました。サムエルがサウルに伝えた今日の旧約聖書の言葉が彼の心の中に深く染み込んでいれば、こういうことにはならなかったでしょう。
しかし、これは私たち人間ならば誰でも経験することなのかもしれません。聖霊の導きというものを私たちは得ながらも、結局のところ神の御心というものを十分に受け取ることもできずに、自分自身の願望を神の御心と思い込んで、またすり替えて生きてしまっているのかもしれません。だからこそ私たちは「聖霊信仰」とは何なのかを、神の与えてくださった言葉から、それを理解するために神が与えてくださる聖霊の助けによって、自分自身の足元を見つめながら生きていく必要があるということを、今日の御言葉を通して受け止めました。
父なる神と子なるキリストが、私たちのために与えてくださった聖霊の助けというものを今日も十分にいただきながら、神の子として生きることができますように。皆さんの一日にモ神の守りと平安が豊かにありますように。心からお祈りします。
齋藤篤先生はじめまして。
返信削除私はずっと前から
返信削除ローズンゲンを読んでいました。ある時から聖書通読が苦痛になり頭に全然入って来ない日々が続きました。今日の御言葉でサウルが神の霊をないがしろにしたという言葉を聞いて私も知らないうちに神の霊をないがしろにしていたのではと悔い改めの気持ちが起きました。霊的スランプに陥った時こそ神の前に静まる必要を強く感じました。不慣れですみませんでした。
返信削除