25/12/2024

2024.12.25(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
出エジプト記6章7節
私はあなたがたを私の民とし、私はあなたがたの神となる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネの手紙一3章1節
私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどれほどの愛を私たちにお与えくださったか、考えてみなさい。事実、私たちは神の子どもなのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。そして、クリスマスおめでとうございます。神がご自分の独り子を私たちのためにプレゼントとして与えてくださった。その独り子の誕生から世界に対する救いの物語が具体的に始まりました。起源的には12月25日がイエスの誕生日である確率は限りなく低く(1/365!)、ある方々からはクリスマスをこの時期に祝う人々は異教に引きずられているということのご指摘を受けたりするわけですが、私はそういうご意見には一定の理解を示しつつも、やはり救い主の御降誕によって、救いの物語がここから開始されたということを毎年この時期に確認できるのは大きな喜びにつながると思っています。そんな思いとともに、今日のローズンゲンに示された御言葉に心を傾けてまいりたいと思います。
 
結局のところ、クリスマス体験というのは「救いの体験」につながるのだと私は確信します。救いとは神が私たちの命をまもり、そのためにいつもともにいてくださること。この一点に尽きるでしょう。ですから、これからの人生のなかで多くの苦難が待ち受けていようとも、神は私たちの命を全身全霊をもって守り抜いてくださるのだと。今日の旧約聖書の言葉は、まさにそのことを私たちに伝えようとしています。出エジプトという40年にわたる旅路での苦しみがいかにあろうとも、神は私たちをご自分の民としてくださるというのです。神の名である「主(ヤハウェ)」には「(あなたがたは私の神と)なる」という意味が含まれています。まさに、今日の出エジプト記6章7節の言葉に相通じていくのです。
 
そのような深い守りのなかで、神は私たちにイエスを与えてくださった「主は救い」という意味の名前が付けらえた救い主イエスをです。私たちを愛する子どもとしてくださる神が、まず最愛の独り子であるイエスを私たちに与え、神の子としての存在を明らかにしてくだsったのです。このイエスを見上げることで、私たちもまた神に愛された子どもとして生きることが出来るのです。イエスが洗礼を受けたときも、イエスが山上で白く輝いたときも、天から聞こえてきた声は「私の愛する子」という言葉でした。この言葉に私たちもまたあずかることができるのです。
 
昨日のクリスマスイヴ礼拝で、ひとりの歳若い方が洗礼をお受けになりました。私にとっても1年振りに洗礼を授ける機会となり、ちょうど30人目の授洗者でした。洗礼を授けるたびに思うのですが、ここに「神の子にされる」という体験を自他ともに確認するとても素敵な機会なのだと思わされています。そして、明くる朝にこうして具体的な御言葉とともに与えられるところに、大きな喜びをかみしめているところです。今日からしばしゆっくりできる日々を過ごせますので、クリスマスの余韻を楽しみつつ、一日を過ごしてまいりたいと思います。皆さんのクリスマスに、神様の大きな祝福がありますように。お祈りします。

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