23/11/2024

2024.11.23(土)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
申命記18章10,12節
あなたの中に、占い師、卜占する者、まじない師、呪術師、これらのことを行う者をすべて、主は忌み嫌われる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一15章34節
正気になって、正しい生活を送りなさい。神について無知な人々がいるからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
今週も最終日を迎えました。この七日間の旅路がどのようなものであったか想い起こしまた振り返りながら、今日のローズンゲンに示された御言葉に聴きたいと思います。
 
今日の旧約聖書である申命記18章の箇所ですが、いわゆる占いやまじないのたぐいを神である主ヤハウェは忌み嫌われるということが記されています。イスラエルの民に対して、指導者モーセが語った言葉でした。なぜモーセはこのようなことを言われたのでしょうか。
 
占いやまじないには悪霊の力がともなっている。そんなことを耳にすることがあります。そのような魔力というものに自らが引きずられることのないように、占いとかまじないというものを避けなさいということを私たちに伝えているのだろうか。そんなことを考えました。確かにその通りかもしれません。しかし、悪魔の力を恐れてそのようなものを避けるという考え方より、もっとポジティヴなとらえ方はないのだろうか。そんなことを思わされるのです。
 
つまり究極的に言えば、私たちの旅路をしっかりと支え、守り、導かれる方がおられる以上、私たちが自分たちの将来を占ってもらったり、まじないをしてもらう必要はないのだと思うのです。私たちの旅路に道を示してくださるのが神である主ヤハウェである、ということなのです。悪魔を恐れる以上に、神のなさることに畏敬の思いを抱きつつ、私たちの将来にご自分の言葉と聖霊の力をもって確かに導いてくださる方が、私たちの日々を幸いなものとしてくださるということです。
 
将来に対して占ってもらおうとか、なにかまじないをすることで良いものにしてもらおうというのは、大体は私たちの「不安」がそうさせているのでしょう。そういう不安が、神御自身をぼやけさせ、かすめさせ、見えにくくさせているのかもしれません。あえて悪魔や悪霊という言葉を用いるならば、そういう不安を悪魔は利用して、神から私たちを引き離そうと頑張っているのかもしれません(悪魔サタンという名には「引離す者」という意味があります)。
 
しかし私たちが忘れてはならないのは、悪魔も悪霊もそもそもは神によってつくられた被造物であるということです。それが堕落してしまった結果、悪魔や悪霊となってしまったのです。つまり、悪魔や悪霊というものが、神に勝った存在では決してないということなのです。ですから、私たちは悪魔や悪霊に恐怖を抱き続けたり、いやに強調することによって、かえって神のみ業というものに関心が寄せることが難しくなってしまうのではないか、私はそうも思ったりしています。
 
今日の新約聖書の言葉には「正気になって」と書かれています。神が私たちに今日も歩むための道を与えてくださるということへの意識は、冷静かつ正気な思いで神とともに歩むことへとつながっていくのだろうと思います。そんな思いとともに、一週間の最終日を歩んでまいりたいと思います。どうぞ皆さんの一日にも、神の守りと祝福がともにありますように。お祈りします。

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