19/11/2024

2024.11.19(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編124編7節
私たちの魂は小鳥のように救い出された
仕掛けた者らの網から。
網は破れ、私たちは救い出された。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書6章18節
イエスの話を聞くため、また病気を治してもらうために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々も癒やされた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
 
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句のうち、新約聖書・ルカによる福音書の一節で語られているのは、あらゆる病がイエスによって癒されたということです。それは、今日の旧約聖書の言葉である詩編124編7節にもあるように、小鳥が破れた網から解放されたようなものであることを、私たちはイメージすることができるのです。
 
私の左眼が見えなくなってから1週間が経ちました。右眼が見えているから大丈夫!と自分自身に言い聞かせてはいますが、心の奥底には不安のようなものがあったことを否定できないできごとがありました。昨日観た夢がそうでした。友人の運転する車に乗っていたら、高速道路の入り口トンネルのところで、左側から女性の方が飛び出して体当たりをし、そのことでいら立ちを感じた私がいたという夢です。左側というのは、私の左眼のことを指していたのではないか。事故とはトラブルのことで、それにいら立ちを感じている私は不安を表しているのではないか。そのように感じたのでした。
 
そのようなことがあったわけですが、今時点での私の状況を申しますと、病院から処方された止血剤の効果なのかは分かりませんが、左眼が1週間前よりは少しずつ改善しているような感覚があります。1週間前の状況がゼロで、それ以前が100だとすると、20くらいまで回復しているような気がしています。まだまだぼんやりではありますが、少しずつ見え始めています。実はそのことに大きな喜びを実感しているところです。見えないものが少しずつではありますが見えるようになる嬉しさ。これはまさに、今日のローズンゲンに示された聖句への深い実感に相通ずるのだなと思わされました。
 
伯父のことについても申し上げます。昨夕、伯父から電話がかかってきて、主治医の先生から正式に入院が長期になることを告げられたということでした。しかし、驚いたのは伯父のひと言でした。「家にあるものを少しずつ処分してほしい。まだまだ使えるものは、誰かにあげてほしい」というものでした。伯父は、これから待ち受けている放射線治療を積極的に受けようとする気持ちを持ちつつも、自分自身のなかでもう自宅には戻れないということへの、潔い覚悟のようなものを感じているのだなと私は思ったのです。この伯父がキリストの愛に支えられながら、人生の日々を過ごして欲しいということを、ますます思わされた一瞬でした。
 
私のことにしても、伯父のことにしても、実に多くの方々が祈ってくださっている。そのことにあらためて感謝申し上げます。別な仕方ではありますが、実際に病がたちどころに癒されたというわけでもありませんが、しかし、祈りに支えられてある種の解放感を味わっていることは紛れもない事実です。こうして、聖書のことばと祈りを通して、聖霊様が豊かに働いていることこそ、私の今日生きる根拠となっていることに感謝しつつ、一日を過ごしたいと願わされました。どうぞ、皆さんの一日にも、神様が祝福をもって臨んでくださいますように。心からお祈りいたします。

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