くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
サムエル記上2章4節
勇士の弓は折られ
弱い者が力を帯びます。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二12章10節
それゆえ、私は、弱さ、侮辱、困窮、迫害、行き詰まりの中にあっても、キリストのために喜んでいます。なぜなら、私は、弱いときにこそ強いからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
昨日は、私のリクエストに応えてくださり、心から感謝いたします。多くのコメントや祈りの言葉をいただきました。どれだけ昨日のローズンゲンに示された聖書の言葉とあわせて、私にとって心強いものとなったでしょう!そのことを思い巡らしながら、今日のローズンゲンを開きますと、またもや、今日の御言葉はまさに私のためにあるのではないかと思わされました。ローズンゲン自体にそのような特別な力があるわけではないのですが、ローズンゲンを通して、神が確かにご自分の言葉を携えて働いてくださっていることは事実ですから、そのことに本当に嬉しくなりました。その思いをつづりたいと思います。
昨日、ローズンゲン黙想を投稿した直後、同じ街に住む伯父から電話がありました。身寄りのない伯父にとって、一番身近にいるのは私なのですが、伯父との交流が再開したのは去年のことで、約40年ぶりの再会でした。伯父は身体的経済的に多少の不自由を抱えながら、毎日を過ごしていました。その伯父からの電話は、身体がまったく動かなくなってしまったというものでした。したいことができなくなってパニック状態とのことでした。
伯父本人は救急搬送されることを希望しましたので、私が救急車を呼んで伯父はかかりつけの病院へ搬送されました。私も左眼は見えない状態でしたが、見える右眼を使って運転しながら、病院へと向かいました。病院では伯父に会うことはできませんでしたが、救急外来の担当医から、検査の結果、伯父は治療中だった胃がんが脳に転移をしているゆえに、記憶面運動面に障害を起こしているとのことでした。(夕方には病室も決まり、伯父から電話の連絡を受けたときにはホッとしました。伯父にも主治医の先生から脳のことの告知はされたとのことで、私も主治医からの説明を明日受けることになりました。)
伯父が運ばれた病院を後にして、私はかかりつけの眼科へ行きました。そこで検査を受けて受けた診断は「眼底出血」でした。出血量がかなり多いので、このまま様子をみて出血がおさまるのを見るか、総合病院で精密検査をして入院・手術の道をとるかの道が示されて、私は後者をとることにしました。紹介状を書いてもらいましたので、今日、近くの大学病院へ出向いて、診察を受けることにしています。相変わらず左眼が見えませんので、いろいろと支障はあるのですが、見える右眼を使って、このように文字を打つことができるので、本当に感謝です。(聖書などの細かい文字を読むことはかなり難しいですが、インターネットで聖書の言葉を読むことができるので、本当に感謝です)
そんなこんなの一日でしたが、無事にその時を過ごして、平安のうちに終えることができました。いささかの不安も、そのことで頭や心がいっぱいになることなく、きわめて冷静に過ごすことができました。神が与えてくださる平安に、自らの身も心も委ねることができたと思っています。皆さんの祈りやお支えも本当に力になりました。
そのうえで、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句は、まさに「これ以上言うこと無し」のメッセージであったと私は感じています。弱いものこそ力を帯び、弱い時こそ強いのだというメッセージ。私は今ある意味では片目が見えませんので、いつも感じることのない弱さがあると思っています。しかし、なぜか心は平安なのです。これこそ、神が生きる力を与えてくださっているからだと、私は信じて疑いません。確かに不自由です。しかし、不自由さを通して自由にさせられている、自由にさせてくださる神がともにおられるのです。こんなに感謝なことは無いと思いました。
今日、自分の眼をもう一度診てもらって、今後の治療を決めることになります。明日は伯父の今後の方針を決めることになります。どんなときにも、神が与えてくださる力によって、うろたえることなく、落ち着きをもって、神のなさる一切に希望が持てるのだ。そんなことを心に刻んで、一日を歩んでまいりたいと思います。
黙想というよりは、私の近況報告で申し訳ありません。どうか今日一日の皆さんの歩みに、神の守りと平安が豊かにありますように。お祈りいたします。
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