03/06/2022

2022.6.3 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編50編23節より
感謝をいけにえとする者は私を崇める。
道を正す人に私は神の救いを示そう。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コロサイの信徒への手紙2章7節
キリストの内に根を下ろし、その上に建てられ、教えられたとおり信仰によって強められ、溢れるばかりに感謝しなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧約・新約聖書を共通する言葉は「感謝」です。今日はこの言葉を通して黙想してみたいと思います。
 
感謝をいけにえとする、と今日の旧約聖書の言葉にあるのは大変興味深いと感じさせられました。いけにえと言えば、旧約聖書の時代では神殿で神にささげられるものであり、数々あるささげ物のなかで「感謝のいけにえ」というものがあります。
 
感謝のいけにえは、自分自身に与えられたもののうち、もっとも良質な部分の「10分の1」を神にささげるということから、以後人々のあいだで習慣としておこなわれることになります。教会でも言われる「10分の1献金」という考え方は、旧約時代のそれに由来しています。
 
ただ、この10分の1という考え方が本当に感謝にもとづいたものとして、私たちは受け止めているだろうか。そんなことを黙想させられます。こと教会の牧師として思わされるのは、教会で10分の1献金に限らず献金について言われるときに、それが「感謝の応答として」とは言えども、実際は「教会という組織維持」のためにという目的のほうに、私たちの意識というものが勝っていないだろうか。そんなことを考えさせられるのです。感謝のないところに、どんなに形だけを整えてそれらしいことをしたとしても、そこにあるのは空しさだけなのかもしれません。
 
感謝のあふれるところには、誰がなんと言わずとも、自然にかつ自発的にいけにえがささげられる。このことが根底にあってこそ、今日の旧約聖書に記された「感謝のいけにえ」の意味と本質があらわれることを、私自身の信仰としたいと思わされました。そのためにも、神が私たちに願っておられる「感謝」とはいったいどういうものなのかを黙想しつつ、今日の一日を歩んでまいりたいと思います。
 
ごく小さなことにも神に感謝できるような生活が営めるよう、今日も私をあなたの言葉と注いでくださる聖霊の助けによって、私を整えてくださいますように。アーメン。

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