02/06/2022

2022.6.2 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編115編12節より
主が私たちを思い起こし
祝福してくださるように。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一4章7節より
あなたの持っているもので、受けなかったものがあるでしょうか。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の新約聖書の言葉は、この手紙の筆者である使徒パウロが、コリント教会で起きたあらゆる問題課題に対して、その本質を突き、そのうえで、神の御心によって解決し歩んでほしいとの思いで、書き綴っています。
 
今日の言葉を含む第一コリント書の4章では、この手紙の冒頭から続いている話題の延長戦上として、パウロが大切なことを提示しています。それは「誰の主張や意見が正しいか?」ということに対する、パウロの見解です。
 
ここで言う「誰の主張や意見が正しいか?」というのは、神の御心に立ち、そこに従おうという過程のなかで起きる議論というよりは、神の御心、聖書に書かれていること、聖霊の導き、遣わされた使徒による教えの取り次ぎなどをないがしろにした主張をし、そのために相手を糾弾するという意味での裁きを平然と行う態度のことを指します。
 
私たちは誰もが、自分が正しいと信じて生きている部分があります。そうでなければ、人生のあらゆる場面で迫られる決断をくだすことなどできないでしょう。しかし、そのような決断も裏目に出てしまうこともあります。自己主張するあまり、あまりにも物事の本質からずれてしまい、あらゆるトラブルの種となってしまう、ということです。
 
パウロが勧めたいこと。それは、神が私たちをどのように扱われていることを、私たちが理解するかという一点に尽きます。パウロは綴ります。あなたの持っているもの、いや、神によって持たされているものは、一体何なのでしょうか。そのことを考えなさいと。
 
私たちが神から持たされているもの。それはイエス・キリストです。イエスによって示された言葉や行いの数々、そしてイエスが私たちのために与えられた命です。私たちをひとつにするために、イエスが差し出してくださる出会いとつながりです。
 
このことを思い起こせるかどうか。もし、私たちがそのことを忘れてしまうならば、私たちが誇るための根拠は、神ではなく私自身になってしまいます。私が誇ることができるのは、神が私をいつも思い起こしてくださり、神御自身が私に今日も必要な言葉と助けを与えてくださるから。神に守られて生きているという安心感こそ、私自身が誇れる理由であるとパウロは信じていました。
 
このパウロの思いに、私は同調したいと思わされました。何も持たされていないがゆえに起きてくる不安、不満、その不満から生じる他者を自分自身の視点だけで断罪しようとする思いなどではなく、神がイエスを通して与えてくださったひとつひとつのことを指折り数えながら、平安に今日の一日も歩みたいと願わされました。
 
そうすれば、自分自身を誇ることで自己顕示をする必要もなくなります。私たちを輝かせてくださる主を誇ることが、今与えられていることへの満足感や自己肯定感というものを、健全にしていくのでしょう。
 
今日の一日が、そのようなときでありますように。お祈りいたします。

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