詩編19編2節より
天は神の栄光を告げる。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネの黙示録14章7節より天と地、海と水の源を創造した方を礼拝せよ。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
******
今日の旧新約聖書に共通する言葉は「天」であると、私はとらえました。今日はそのことを中心に黙想してみたいと思います。
天とは神の住まうところ。これが神に対する主なイメージであると言えるでしょう。実際にイエスも「天におられる私たちの父よ」と、神に向かって祈っています。
では、その天とは何のことを指すのでしょうか。私たちにとって天とは、上空の世界を指すときに使われる言葉です。しかし、神は必ずしも空の上にいつもいるわけではありません。私たちのかたわらにおられ、私たちを土台のようにしっかりと支えてくださる神がおられるというのが、聖書の語る神の姿だからです。
だとすれば、どうして神のいますところが「天」なのでしょうか。やはり、天というところはすべてが見渡せる場なのでしょう。私たちをこぼすことなく常に見守り、その人にとって常に必要とされる物事を見極め、それを惜しみなく与えてくださる神が天におられるというのは、私たちにとっては大いに幸いなことなのだと思うのです。
逆のことも言えます。どんなに外見だけを整わせたとしても、神は私たちの内なるものまですべて御存知であられる。天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)とはよく言ったものです。
私たちは神にすべてを見られているからといって、恐怖におびえる必要はどこにもありません。私たちを創造された神は、私たちを漏らさず、ご自分の愛で養われることを最大の喜びとされるからです。
神の御前にとても見せられないと思うこともあるでしょう。しかし、さらけ出していいのです。神の御前に自分の恥ずかしさをさらけだすところに十分な祝福がある。これこそ、礼拝することの神髄である。これが、今日の聖書の言葉から導かれた私の黙想でした。
天から私たちを守られる神が、今日も皆さんへ祝福と喜びを注がれることを、一日を生きる礎とすることができますように。
0 件のコメント:
コメントを投稿