くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
ホセア書11章8~9節
私の心は激しく揺さぶられ
憐れみで胸が熱くなる。
私は神であって、人ではない。
あなたのただ中にあって聖なる者。
怒りをもって臨むことはない。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書3章16節
神は、その独り子お与えになったほどに、世を愛された。御子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
月曜から、日本基督教団教師委員会の仕事で、能登半島にある4つの教会と、そこで働く牧師の先生がたを訪問する機会をいただいています。2年半前の震災以来、つねに試練のなかを歩んでこられている先生方の労苦をあらためて知る機会をいただき、大きな感謝と自分自身の反省を思わされていました。
そんなこともあって、昨日は黙想をお届けすることができませんでした。申し訳ありません。今日は少し時間が取れましたので、黙想をつづりたいと思います。
今日の新約聖書の言葉は、聖書の中心とも言えるものであることは、皆さんもご存知のことと思います。神はご自身の独り子であるイエスをキリスト(救い主)としてお与えくださるほどに、ご自分がつくられた世界を深く愛されたとあります。この言葉こそ、聖書の中心・キリスト教の中核をなす言葉と言って間違いないでしょう。
しかし、このあまりにも有名過ぎる言葉の土台にあるものが何かについて、いちいち深く考える機会があっただろうかと、あらためて思わされました。当たり前すぎてそれを当然と受け止めれば受け止めるほど、そのような感覚を抱いてしまう私自身に気付かされたのでした。
今日のローズンゲンに選ばれたのは、ホセア書の一節です。そこに、神の人間に対する深い思いというものが、神によって語られています。「私の心は激しく揺さぶられ/憐れみで胸が熱くなる。」というものです。激しく揺さぶられる心をもって、私たちを憐れみのなかに招き入れてくださるというのです。
私たちは何度も何度も、神に逆らっては、さも自分自身が神であるかのように生きてしまうのです。神に愛想突かされてもおかしくないなかにあっても、神がご自身の心が激しく揺さぶられるほどに、私たち一人ひとりを愛される。神は決して安定のなかで私たちを愛しておられるわけではないのです。非常に衝撃的なかたちで、私たちにご自分の愛を示されたのです。
私たちは、そのような情熱的な神によって今日も生かされています。苦しみのなかにあっても、私たちを慈しんでくださる神によって守られていることへの感謝を、今日一日の糧として私たちは生きたいと心から願います。どうか今日の一日が、情熱的に愛してくださる神の御手に守られながら生きることができますように。平安を祈ります。
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