くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
箴言14章26節
主を畏れるところには強い信頼が生まれる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネの手紙一5章18節
神から生まれた人は誰も罪を犯しません。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
信頼とはなんでしょうか。今日のローズンゲンに示された箴言14章26節の言葉に、あらためて注目したいと思いました。
神である主への畏れ。それは決して恐怖に取り囲まれたオソレのことではありません。私たちは周囲を恐れます。強いものに恐れ、自分自身への他者による評価に恐れ、自分自身の立場を脅かすすべてに対して恐れるのです。だから、この世界はいつも安心できないのです。
しかし、神はそのような世界につくりあげたつもりは全くないのです!あくまで神は、私たちが安心できる世界を、ご自身の創造によってつくられたのです。しかし、人間は神に恐怖を覚えました。自分自身が「神」になろうとしたからです。神をないがしろにして、私こそ絶対的に正しいと、主張するようになったからです。
しかし、私たちは神を恐れます。明確な自覚がなかったとしても、実は私自身が非常に弱く、もろい存在であることを知っているからです。だからこそ、自分自身を一生懸命鍛え上げ、他者に負けじと歯を食いしばるのです。こうやって形成された世界は、いつの間にかオソレというものに対して、大変鈍感になってしまいました。
ここで神は語られます。私たちが他者による評価を恐れなくても、自分の弱さにビクビクしなくても、そんな私たちを受け入れてくださる方がおられる。それこそ「神が私たちとともにいてくださる」ことへの、深い信頼の思いが芽生えてくるのです。もっとも、私たちが神に信頼できるのは、神が私たちのことを信頼していてくださるからということを、私たちは決して忘れてはならないのです!
罪を犯さないという今日の聖書の言葉は、完全無欠のスーパーマンになるということではありません。私たちは相変わらず神に背を向け、神が望まれることに反して、恐怖心を抱え続けます。しかし、神という親が与えられている私たちが「神の子」として生きようと願うならば、神が私たちのうちにある罪に対して、過剰に恐れることなく、また開き直ることもなく、深い信頼関係によって、私たちが安心して生きることができるように、導いてくださるのだ。これが、今日の聖句から得た黙想でした。私もそのように生きたい。そんな憧れが、私の今日を支えてくださることを望みます。
皆さんにとっても今日の一日が、恐れではなく、神との信頼関係によって生み出される安心によって、豊かに祝福されますように。心からお祈りします。
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