くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
ダニエル書9章14節
私たちの神である主は、ご自分がなさることをすべての業において正しいのです。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書24章26節
メシアは、これらの苦しみを受けて、栄光に入るはずではなかったか。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用
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皆さん、おはようございます。
受難週3日目を迎えました。どうか今日の一日もまた、命の救い主イエスが私たちのために、ご自身の命を与えられたことを心に刻みながら、一日を過ごすことができますように。
今日のローズンゲンに示された聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「神の正しさ」についてです。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
神は正しいお方か? そう聞かれて「はい。正しいお方です」と即答することが、私にできるだろうかと、私自身問われていることを思います。ただやみくもに神は正しいお方だということを、インプットされた情報をオウム返しのように答えるのではなく、本当に、自分自身の心の内からそう思っていての言葉でなければ、そこには味わいも深みもないと感じるのは、少し厳しすぎるのでしょうか? いや、それこそ大切なのだと思っています。
では、神の正しさを「どこ」に見い出すことができるのか。私は何と言っても「救い主イエス」が、私たちに与えられたことにこそ、父なる神の正しさというものがあるのだ。すべてがイエスに集約されているのだと信じていますし、イエスが私たちに示された言動のすべてが、まさに完璧な正しさというものを、私たちに提供しているのだと、疑うことなく思わされるのです。
今日の新約聖書の言葉は、イエスが死者のなかから復活された日の夕刻に、ふたりの弟子たちとエマオへの途上で出会った時に語られた言葉です。イエスは、かねてより語られていたメシア(救世主)が今現れていることを、弟子たちに思い起こさせようとしています。そして、その後イエスは、聖書を用いてそのことをふたりに語られました。神が聖書を通して、約束し続けていたことが、今ここに果たされた。そこにこそ、約束を決して反故にしない神の正しさが光輝いた一瞬がありました。
この神の正しさに、私たちもまた慰められ、励まされるのです。決して私たちを見捨てることなく、私たちの幸いのために、全身全霊をもって働いてくださる神の正しさがともにある。そのことを胸にして、受難週の道のりを歩んでまいりたいと思います。
皆さんの一日に、神の正しさが豊かにともなってくださいますように。お祈りします。
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