くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
士師記3章9節
イスラエルの子らが主に叫び求めたとき、主はイスラエルの子らのために一人の救助者を起こして、彼らを救われた。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙10章35節
ですから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には、大きな報いがあります。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
最初にお詫び申し上げなければならないことがあります。昨日(2月1日)に掲載しました黙想ですが、一週間後(2月8日)の聖句であることに、あとで気付かされました。まことに申し訳ありませんでした。2月1日の聖句黙想については、大変申し訳ありませんが、2月8日に掲載したいと思います。どうぞお許しくだされば幸いです。よろしくお願いします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句は、私たちのために世界を平和へと導く指導者が、必ず与えられることを約束するものでした。旧訳聖書・士師記で言及されているのは、最初の士師となったオトニエル、新約聖書・ヘブライ人への手紙で触れられているのは、私たちの救い主イエス・キリストでした。
あらためて「士師」という言葉について考えてみたいと思いますが、「裁き人」という言葉にも訳すことのできるものです。裁きという言葉を聞くと、断罪することだけを目的としているように聞こえてしまいそうですが、実際には何かを、誰かを罪に定めるというのは、裁きがもたらす働きの一部にしかすぎません。
裁き人の使命とは、世の中に散在する善悪を「判断」し、その判断に基づいて、人間がそもそも有している「良心」が活かされるべく働きかけ、人民にひとつの基準を提示して、その基準に基づいて統治するというものです。イスラエルにおける最初の士師となったオトニエルは、そのような使命を神から与えられました。
オトニエルにとって、その基準とは「父なる神のみ心」そのものでした。イスラエルをエジプトの奴隷状態から導き出した神、民をこよなく愛し、戒め、良いものを与え続ける神、この神の基準が、オトニエルが士師として生きるために、なくてはならないものでした。
オトニエルによって、混雑したイスラエルの民は平安を得ることができました。自分たちの命と生活が救われました。このことが、究極的にこの地に住むすべての人たちにも与えられたのは、イエス・キリストが私たちに与えられたことによってでした。今日の新約聖書の言葉は、イエスというキリスト(救い主)が与えられた私たちの態度について、言及している言葉なのです。
イエス・キリストという実体が、私たちのために示してくださった証明こそが、私たちの信仰そのものであり、平安のうちに生きる確信となるのです。目の前の出来事に囚われることなく、希望をもって、キリストが与えてくださる信仰を確信あるものとして、しっかりと握りしめたい。これが、今日の聖句から黙想したことでした。
私たちの今日の生活もまた、裁き人が提示してくださる良心のありかたについて、神の助けを十分にいただきつつ、自分自身の確信とすることができますように。神が皆さんを守り、平安を与えてくださいますように。祝福を心からお祈りします。
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