くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編126編3節
主は、私たちに大きな業を成し遂げてくださった。私たちは喜んだ。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
使徒言行録2章46~47節
そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に集まり、家ではパンを裂き、喜びと真心をもって食事を共にし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
新しい一週間がやってまいりました。この初日、世界中のすべての教会や集会で行われる礼拝をはじめとする祝祭のすべてが、神の祝福に包まれますように。心からお祈りします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句、特に新約聖書の言葉は、今日礼拝の機会をいだだく私たち一人ひとりにとって、是非心にとどめたい聖書の言葉であると、私は受け止めたいと思いました。そのことについての黙想をつづりたいと思います。
今日の新約聖書の言葉である、使徒言行録2章の終わりにある言葉は、聖霊の力に満たされ、支えられたクリスチャンが、どのような生活を営んでいたかについて記したものです。私たちはこの言葉の「どこ」に注目することができるのでしょうか。
ごく初期のクリスチャンは、互いのものを持ち寄って、その財産を共有する関係性をもって信仰生活を歩んでいました。しかし、大切なのはそこではないと私は考えています。そうではなくて、互いに神をあがめる「喜び」を共有していたというところに、私たちは注目すべきであると考えています。その姿は、周囲から「好意」を持たれるほどでした。
神が与えてくださる喜びを共有することができたのは、まさに聖霊様の働きに他なりませんでした。人間が集団となると、喜びに満ちあふれることはそう簡単ではないということは、私たちは経験からよく知っているはずです。人と人とがそれぞれの思いが衝突することはしばしばあるからです。実際に、新約聖書に収められている多くの手紙は、教会に少なからず問題が発生していたことが記されている通りです。
喜びは自己努力では実現することができません。だからこそ、神の助けがどうしても必要なのです。それが「聖霊の働き」なのです。聖霊の働きは、私たち各人の思いが、神の価値観によってひとつとされるために、なくてはならないものなのです。この出来事を見逃してしまうと、いとも簡単に、私たち個人の感情がぶつかり、思いがばらばらになってしまうのです。
私たちは神から与えられた個性や賜物というものを、大切にするのは本当に重要なことです。それらを互いに尊び合うことができるとすれば、その土台となる「キリストの価値観」を自分のものとする必要があります。この土台があってこそ、個性が輝き、それぞれに与えられた賜物を活かしあうことができるのだと。これは私自身の働きではなく、神が成し遂げてくださる業そのものなのです。
これを人の力だけでしようとすると、必ずゆがみが生じます。もし、私たちの間に何らかの問題が生じるのであれば、まず、私自身の心が、心から生じる思いや行動が、どこに因るものなのかを、神との対話のなかで、聖書の言葉に聴きながら、真摯に問うことが必要なのでしょう。私たちは、聖霊様の助けが聖書の言葉に乗せられて私たちの心に運ばれるときに、そこには、神が与えてくださる喜びを、初期のクリスチャンのように、必ず味わうことができるのだと、心から神に期待して、家庭で、教会で、社会で、自分に与えられている分というものを、今日も果たすことができるのです。
私自身が周囲から好意を寄せられるために、そのことをするのではありません。あふれだす喜びと行為は、神が私たちに十分に関わってくださった結果なのです。そのことを心ぼ希望として、今日という一日を、今日から始まる一週間を始めてまいりたいと思いますし、神が私たちに良いものを与えてくださることを信じて、歩みたいと願わされました。
皆さんの歩む一日に、神が喜びを確実に授けてくださいますように。そして、私たちが聖霊様の助けを、存分にいただくことができますように。神にある守りと平安を、心からお祈りします。
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