くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
詩編97編10節
御自身に忠実なる者たちの命を守られる方は、逆らう者たちの手から彼らを助け出してくださる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
使徒言行録9章31節
こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和のうちに築き上げられ、主を畏れて歩み、聖霊に励まされて、信者の数が増えていった。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
今週も最終日を迎えました。この七日間の旅路を、私たちはどのように歩むことができたでしょうか? この旅路を同伴してくださった神がおられたことを、私たちはどのように感じることができたでしょうか? また、感じることができなかったでしょうか? それぞれの思いを胸に刻みつつ、この一日を過ごすためにも、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、黙想を深めてまいりたいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、神である主ヤハウェの思いや願いに忠実に歩みたいと心から願う人による告白のことばです。その表題は「賛歌。歌。安息日のために。」(詩編92編1節)とあります。この時代は一週間の最終日を「安息日」として、この日を礼拝の時としていました。まさに、七日間の歩みを振り返る時であり、一週間のなかで私が神とどのように歩むことができたかを思い起こす時でもありました。そのなかで、神が私の生活にどのように関わられたかをじっくりと味わうなかで、このような詩がうたわれたということです。
「逆らう者」とあります。何に逆らうのでしょうか? 神に忠実な者に対して逆らうのでしょうか? もちろん、それもあるかもしれません。しかし、実は神に一番逆らっているのは、何を隠そう「私自身」にあるのだと、私は受け止めました。それは、私たちの神に対するイメージと大きく関係するわけですが、神が私たちに幸いを与えようとしてなしておられる数々の出来事に、私たちは意識的に、また無意識のうちに「逆らって」いるのではないか。神に忠実に歩もうとすればするほど、自分自身がそれに抗っていることに気付かされるのです。
ですから、神は私たち自身のそのような心からも助けの手を差し伸べてくださるというふうに、私は自分自身のこととしてこの聖句を読みたいと思ったのです。神の思い願いを自分自身が受け取って、神が与えてくださる幸いに身を委ねるためにです。私たちが、神とともに歩みたいという思いが、ほんのひとかけらでもあるのであれば、神は大いに助けの手を差し伸べ、私たちのそのような思いを祝福し、守ってくださるのだと。
このような思いの集合体こそ、教会の本質であると私は信じ、受け入れたいのです。自分自身のありようを見つめ、もし、神の思い願いというものに背を向けている自分自身を見つけることができるならば、神は聖霊の力によって、その思いを軌道修正してくださるからこそ、信仰共同体である教会がますます祝福されるのだと。少なくとも聖書を通して私たちに伝えようとする初期の教会の姿は、そのようなものであったことを、私たちは今の教会に、自身の信仰生活に対して「リアル」に感じとることができるならば、それは大きな幸いになるのだろうと思えてなりません。
神である主を十二分に信頼できていないゆえに、思い誤りや選択の間違いがあったのだと、私は自分のこの一週間を振り返っては思わされるばかりです。しかし、だからこそ、また新たな道が与えられるのだということに希望を抱きつつ、来週への備えのひと時としての今日の一日が、神から与えられた素敵な一日であることを望んで歩みたいと願わされました。これが私自身の黙想です。
皆さんのこの一日が、神の守りと祝福に包まれますように。心からお祈りします。
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