くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
サムエル記上12章15節
もし主の声に聞き従わないならば、主の手はあなたがたの先祖を攻めたように、あなたがたを攻めるだろう。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コロサイの信徒への手紙2章6~7節
あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。キリストの内に根を下ろし、その基の上に建てられ、教えられたとおりに信仰によって強められなさい。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日も私たちとともに歩んでくださることを約束された神が、私たちの行く道を示し、守り、祝福してくださいますように!
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するテーマは「神とともに歩む幸い」というものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書のことばは、イスラエルの指導者であったサムエルが、その生涯の終わりに神が自分に委ねられたイスラエルの民たちに対して語った言葉の一節です。サムエルは、はるか昔にエジプトから、今いるこの地に導かれた神が、私たちに対してどのように取り扱われたかについて、その歴史を語ります。神はつねに私たちとともにいてくださったのだと。
ただ、こうも言っています。もし、神の語られる言葉に歩調を合わせずに、自分の好きなように歩むならば、必ず自分自身がその代償を支払うようになるだろうと。サムエルは、このことを「主(である神)が攻めるだろう」という表現を用いています。神が私たちに対して刃を向けるのでしょうか?
そうではありません。「主」というのは神の名前です。「私は(あなたがたとともに)いる」という名前の意味を持たれた方です。その神が、私たちを攻めるとはどういうことでしょうか。神は、私たちがご自分とともにいてくださることでこそ、多くの幸いを人々に与えておられることに気付いて欲しいと願っています。人間はどうしても、幸福はわが手柄だと豪語し、そこに神の関わりというものを無視してしまうのです。これが人間が営んだ歴史の常でした。
しかし、神はそんな人間の傲慢さが渦巻いていたとしても、なおも人間に近づき続けることをやめられませんでした。人間がその驕り高ぶりのゆえに辛酸を舐めなければならないことがあったとしても、そんな人間には神が必要なのだということを彼ら自身が気づけるように、ともにいてくださった。それが神がおられることの真実なのです。まさに、神は私たちの心に攻められるのです。しかし、それは命の犠牲をともなう攻撃ではなく、私たちの命を活かすための攻撃であるということを、私は是非この言葉から受け止めたいのです。
私たちは今、命の救い主であるキリスト・イエスが与えられています。キリストもまた、自分自身が犠牲となることで、私たちの命を守られたのです。そして、今日も守ってくださっています。私たちはそのことに気付けないこともあるかもしれません。しかし、キリストは私たちの心に気付きが与えられることをただ願いつつ、私たちのために今日も働いてくださるのです。そのことに私たちもまた、神がともにおられることの幸いを味わえるような一日でありたい。これが私が受け止めたいと思ったことでした。
皆さんの一日が、神とともにある幸いを感じ取り、それゆえに喜びがあふれる時となりますように。心からお祈りします。
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