くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編28編8節
主こそ、その民の力。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テサロニケの信徒への手紙二2章16~17節
私たちの主イエス・キリストご自身と、私たちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださった、私たちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い行いをし、善い言葉を語る者としてくださいますように。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
昨日は、礼拝に出席された方、休日を楽しまれた方、それぞれの持ち場で一日をお過ごしになられたかと思います。今日から仕事始めというところも多いかと思います。すべてが神が与えてくださる良いものをもって、皆さんの生活が素敵なものとなりますように。お祈りします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは、「善い言葉を語る者」という、新約聖書・第二テサロニケ書の一節にある言葉でした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
善い言葉を語る者とは何でしょうか。ここで、あえて「善い」という言葉が用いられていることに私は注目しました。ただの良いではない、自分の周りにいる方々にとっても良いものがあふれ出るような意味合いを私は感じました。そして、そこには明確な基準というものがあります。
「主は善いお方」という言葉にもあるように、神である主が与えてくださる善さが私たちのうちにあふれるときに、私たちは神からの影響を大いに受ける者として生きることができるというのです。「神が助けてくださる」というのは、私たちが神によって感化を受けることであると私は受け止めています。
私たちが感化を受けたくもないのに、神の助けを得ようとしても、神の善さが自分自身の内にあふれ出すことは無いでしょう。神はどんな者をも助けてくださるでしょう。しかし、助けを受ける私たちに「神から助けられている」ことへの自覚、そして認識がなければ、善いものをただ受け流し、垂れ流して終わってしまうのだと私は思うのです。
だからこそ、神から受けた善いものをもって、それをしっかりと握りしめながら私たち自身の生き方としていくのは、神とともに歩むがゆえの出来事だし、私たちはその出来事を本当に大切にしたいのです。善いものとは、神が与えてくださる慰めや励ましによって生み出される、私たちの生き方にあふれる善い言動なのでしょう。その言動には神がともにいてくださることが明らかにされるのですから。
ですから、私たちは神の心がどこにあるのか、神の思いがどのようなものなのか、神がより具体的に私たちのために遣わしてくださったイエスの生き方を自分の生き方とするために、聖書の言葉から丹念に聴きとっていきたい。祈りを通して神との素敵な交流をもっていきたい。そんな営みが、今日の詩編の言葉にもあるように「民の力」となるのだろうと望みたいのです。
神の善いものをもって生きることでわきあふれる幸いに、今日も生きることができますように。お祈りします。
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