くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編40編2節
わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書5章7~8節
病人は答えた。「主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人はいません。私が行く間に、ほかの人たちが先に降りてしまうのです。」イエスは言われた。「起きて、床を担いで歩きなさい。」
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
新しい一週間が始まりました。クリスマスシーズンも終わりを告げ、私たちは年始とともに、日常に戻りつつあるなかに今週の一週間があると思います。皆さんの七日間の日々が、神とともにあるがゆえの祝福が豊かにありますことを、心よりお祈りします。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「神は私たちを決して見捨てられない」というメッセージでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の新約聖書の言葉は、イエスが長い間、病のために起き上がることのできなかった人に、癒しを与えられたエピソードが収録されています。その舞台となったのは「ベトサダの池」でした。ローズンゲン日本語版を出版しているベテスダ奉仕女母の家は、この地名から取られたものですが、もともともは「あわれみの家」という意味があります。
神のあわれみが豊かにあふれると言われる場で、38年ものあいだ身体の不自由を抱えていた方が、まさにそのあわれみを求めていました。しかし、待てど暮らせど、自分の不自由は一向に改善されませんでした。池の水が動いたときに、池のなかに入ればそのあわれみを受けることができるというのです。しかし、なかなかこの人は池にたどり着くことができませんでした。自力でどうすることもできなかったのです。
そこにイエスとの出会いがありました。イエスは池のなかにこの人が入ることなく、長年の苦しみにあわれみを加えられました。こうして、この人は長年の苦しみから解放され、ひとりで床を担いで歩くことができたのです。まさに神のあわれみがこの人に現れた一瞬でした。
自力ではどうすることもできない。その苦悩を私たちの神はすべてご存知である。大切なのは、私たちが神の与えてくださるあわれみがあることを心から信じて、神のなさることに信頼の思いを寄せることなのでしょう。なかなか待つことはできない場合があります。待ち続けることも多くの苦痛をともなうからです。しかし、神がベストなタイミングをおって必ず応えてくださる。そこに一縷の希望を託して生きることで、最終的な幸いが見いだされるということを、私たちは今日生きる励みとしたい。そんなことを受け止めたいと思ったのです。
もし、今苦しみの渦中にあるならば、そのような神がともにおられることを私たちのただひとつの希望とすることができますように。皆さんの主にある平安と祝福が豊かにありますように祈ります。
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