くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編89編10節
あなたは荒れ狂う海を治め
高波が起こるとき、これを鎮めます。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書8章26節
イエスは弟子たちに言われた。「信仰の薄い者たちよ、なぜ怖がるのか。」そして、起き上がって風と湖とを叱りつけられた。するとすっかり凪になった。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日は、教会の暦に「公現日(栄光祭)」が位置付けられています。当方から来た博士たちが、乳飲み子イエスを拝みに来たことにちなんで、この日が設けられました。実際には、後の信仰者たちが設定したものですので、クリスマスから約2週間後の出来事であるかどうかの記述が聖書にあるわけではないのですが、聖書に記されたストーリーを自分たちの生活に取り入れようとした姿勢は、大いに学ぶところがあると私は感じています。イエスが私たちのあいだに明らかにされることの意味について、今日の一日、じっくりと思い巡らせたいと思います。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは、「ざわつく心」でした。そのことについて黙想したいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、詩編の一片でした。そのなかで「荒れ狂う海」という言葉が登場します。この表現について、他の聖書では「誇り高い海」と訳されていますし、「海の高まり」と訳されているものもあります。つまり、「荒れ狂う」とは、私たちの持つプライドにゆえに起きる高慢さが、ちょっとしたことで荒れ狂った海のように、自分自身の心に大きなざわつきを生じさせるのだという風に私は受け止めました。
私のプライドはどこにあるのか。それはどのような種類のものなのか。そのプライドは、私たちの心をざわつかせるようなものなのか、海を荒れ狂わせるくらいに、私たちの心を支配してしまうものなのか。そんなことを自分自身の胸に手を当てて、じっくりと考えてみたいのです。
私は、第一コリント書にある「誇る者は主を誇れ」という言葉が思い浮かびました。自分自身の存立は、つまらない自分自身だけのプライドによるのではなく、神がともにおられて、私たちの心のざわつきを鎮めてくださることによる安心を、自分自身の誇りとすることができるのだと。そんなことを感じたときに、今日の新約聖書の言葉が響いたのです。
今日の新約聖書の言葉は、荒れ狂った湖のなかで、舟が沈んでしまうかもしれないことに恐れを抱いた弟子たちに対して、イエスが奇跡を起こして波を鎮めることによって、弟子たちの心のざわつきをも鎮められたエピソードの一節でした。
私たちの心は、日々のさまざまな出来事によって大きくざわつくことがあります。そして不安の渦に巻き込まれ、恐怖を抱き、その恐怖ゆえに、あらぬ方向へと自分自身を誤導してしまうこともあるでしょう。そうならないために、私たちとともに主イエスがともに歩んでくださるということを、私たちの心の柱としたい。そんなことで得られる安心感や平安を味わいたいと私は感じされられました。
そんな平安な思いとともに、今日の一日を歩むことができますように。皆さんの主にある守りと祝福が豊かにありますように。心からお祈りします。
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