19/01/2026

2026.1.19(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
歴代誌下18章4節
どうかまず主の言葉を伺ってみてください。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書6章63節
(イエスの言葉)私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用

******
 
皆さん、おはようございます。
今週はとても寒くなるという、仙台の天気予報です。本格的に冬らしい冬を迎えるのは、決していやなことではありませんが、それでも何かと健康が損なわれやすい時でもありますので、健康に留意しつつ過ごしてまいりたいと思います。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったことは、「神の御心に聴く」というものです。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
 
今日の旧約聖書の言葉は、歴代誌下18章の言葉ですが、イスラエル王国が南北に分裂してそんなに時が経ってない頃、南イスラエル(ユダ王国)の王であったヨシャファトによって語られたものです。彼は神に忠実な態度を示し、善政を実行した人物として知られています。
 
そのヨシャファトが物事を決める際に大切にしたことは、「私がどう思うか?」ではなく「神である主はどう思われるか?」ということでした。彼はよく知っていました。人間の願望よりも、神の願いのほうが必ず平和をもたらすということをです。人間の判断は時として状況を狂わせ、ゆがみを生じさせます。それによって犠牲を生むことすら往々にしてあるのです。「これこそ神の願いである」と思い違いしたり、場合によっては自分の願望を神の名を借りて、知らず知らずのうちに悪用してしまっていることすらあるのです。
 
だから、私がどう思うかではなく、神がどう思われるのかということに、自分自身の思いや考えを集中させることが必要なのです。そのために、神の言葉である聖書の言葉が私たちに与えられているわけですが、私たちに求められているのは、その本質を見極められるような読み方をすることです。神が送ってくださる聖霊の助けがどうしても必要です。しかし、その聖霊を盾にして、自分自身の願望を神の意思とすり替えてしまうことも往々にしてあるのです。気を付けなければならないことなのです。
 
イエスは言われました。「私の言葉」と。イエスが私たちに示してくださった言動のひとつひとつの本質というものを、私たちは是非大切にしていきたい。これが改めて私が思わされたことであり、黙想でした。
 
今日の一日が、皆さんにとって平和をもたらすものでありますように。心からお祈りします。

0 件のコメント:

コメントを投稿