くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書60章17節
(主の言葉)私は平和をあなたの管理者とし、正義をあなたの監督者とする。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネの手紙二3節
父なる神と、父の御子イエス・キリストから、恵みと憐れみと平和が、真理と愛の内に、私たちと共にありますように。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
新しい一週間がやってまいりました。今日、世界中の教会や集会で行われる主の日の祝祭、礼拝のすべてに、神が私たちに臨んでくださいますように。それぞれの営みを祝福してくださる神に感謝しつつ、今日もローズンゲンに示された神のみ言葉に耳と心を傾けてまいりたいと思います。
今日のふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「私にとって平和と正義とは?」です。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、預言者イザヤによって語られた、神がもたらしてくださる新しい世界のおとずれについて描かれたシーンです。そのなかで神は、その世界に住む私たち人間に対して、「管理者」かつ「監督者」を私たちのために置くと仰せになりました。では、管理者とは誰でしょうか? 監督者とは誰のことでしょうか? それが「平和」と「正義」であるというのです。
私たちのなかで、平和を愛さない人はいないでしょう。正義を嫌う人もいないでしょう。しかし、自分が愛してやまない平和や正義がどのようなものかということを、私たちはじっくりと考える必要があるのだと思います。人を殺し犠牲を生むことで、平和や正義を実現しようと考えている人たちもいえるのです。これが、本当にイザヤ書で触れられている平和や正義のあり方なのでしょうか?
私は、人間の歴史が平和や正義というものを追求するなかで、多くの犠牲というものが確かに存在していたことを思わずにはいられません。平和を愛している、正義の正統性を振りかざしながら、結局のところ、人のことなどお構いもなく自分自身の欲求をまき散らしているだけなのです。そうではないのです。私たちを監督し、管理する平和や正義は、あくまで神由来のものであることを、私たちはどれほど自分自身のものとしているでしょうか?
神の平和、そして正義というのですから、それが何かを私たちは知り、そして私の生き方を神が願うような平和と正義があふれるようなものとすることこそ、私たちの健やかな日々へと神が導いてくださるということを受け入れたいのです。
そして、それは具体的に、神がイエス・キリストを通して示された「恵みと憐れみと平和、真理と愛」であるというのが、今日の新約聖書の言葉が指し示しているものであるということを、私たちは是非胸にして歩みたいのです。そんなことを黙想しました。
皆さんの新しい一週間のスタートが、神の平和と正義に支えられたものでありますように。心からお祈りします。
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