くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
コヘレトの言葉5章6節
夢が多ければ、ますます空しくなり、言葉も多くなる。神を畏れよ。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ペトロの手紙二1章16節
私たちが、私たちの主イエス・キリストの力と来臨をあなたがたに知らせるのに、巧みな作り話に従ったのではありません。この私たちが、あの方の威光の目撃者だからです。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日も、神が与えてくださったこの一日が、私たちにとって無くてはならないものとなりますように。新しいひとつひとつの出会いに、神が私たちに喜びを与えてくださるものとして、私たちを導いてくださいますように。祈りつつ、今日の聖書の言葉に耳と心を傾けてまいりたいと思います。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「私たちの想像を超えて」とおいうものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、コヘレトの言葉(伝道の書)でした。賢人によって書かれたこの書物には、私たち人間の現実と空虚さ、その空しさのなかで神が私たちのことをどのようにご覧になられ、私たちに祝福された人生を与えてくださるかについてつづられています。
夢が多ければとあります。夢を持つことそれ自体は、決して悪いものではありません。ここで言及されている夢とは、神が私たちの人生を支え、導き、祝福と幸福をお与えになられる方であるということへの深い信頼をそっちのけにし、ないがしろにして歩もうとする人間の空想や夢想のことを指しています。
そのような夢想や空想は、神が与えてくださる言葉を自らのなかから排除して、自分自身の野望を「神」になったかのように饒舌に語るのだという、賢者の観察がつづられているのです。賢者は、私たちの夢や希望というものは、神の指し示されるものを理解しようとする態度、それを胸にして歩もうとする態度があってこそ、はじめて夢や希望が明らかなものとされるのだということを、私たちに知らせているのです。
そのことをより明らかにしてくださったのは、神が救い主として与えてくださったイエス・キリストでした。イエスが私たちの生活のただなかに現れたとき、私たちの想像をはるかに超越する出来事を、また私たちの心を超えて多くの希望に満ちふれた言葉を語られました。それらは嘘いつわりなく、確かに私たちの心を平安なものに導いてくださいましたし、それは現在にいたっても、実際に何の変わりもない良いたよりとして、私たちが受け取ることのできるものなのだと、「ペトロの手紙」を記した著者は書き記したのでした。
空しくなるような作り話ではなく、主イエスが私たちと、そのお名前をもってともにいてくださる。そのことを胸に抱きつつ、今日も希望にあふれた一日でありますように。心からお祈りします。
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