くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編91編9節
主はあなたにとって確かな方。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マルコによる福音書10章47節
(バルティマイは)ナザレのイエスと聞くと、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫び始めた。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
一週間も最終日を迎えました。私たちはこの七日間の旅路をどのように過ごすことができたでしょうか? 私たちとともに歩んでくださる神である主が、私たちをどのように養い、導き、先導者として伴走者として歩んでくださったでしょうか? そんなことを思いのなかで巡らせながら、今日のローズンゲンに示された聖書の言葉に聴こうと思います。
今日の聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「憐れみをもって私たちを守られる神」というものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書の言葉である詩編91編9節の言葉を歌った詩人は、神のことを「確かな方」と呼んでいます。何が確かなのでしょうか?
『日々の聖句』では、原版である『ルター訳聖書2017年版』からの翻訳です。そのうえで、日本語訳聖書では、この部分を「逃れ場」「避け所」という日本語で翻訳しています。つまり、神が何において私たちにとっての確かさを感じさせるのかということを考えたときに、それは、私たちを徹底的にご自分の思いや願いで、その人生を守ってくださることに対して、その確かさを賛美していることがわかります。
私たちは神を信じて歩んでいても、自分自身の思いや願いが叶えられず、神が自分の苦悩に顔を向けて下さらないように感じることがあるでしょう。その時に、私たちは神に見捨てられたような感覚に陥るでしょうか? 神が私たちを守ってくれないと感じるのでしょうか? 神は私たちの「欲求」に必ずしも応えられるわけではありません。しかし、私たちが本当に「必要」とすることには、ご自分の意志とその価値観をもって私たちを安全な道へと導いてくださるのだ。これこそ、この詩編の一節を通して私たちが感じ取ることができるメッセージなのだと、私は受け止めたいのです。
今日の新約聖書の言葉は、盲人であるバルティマイがイエスに対して、自分自身の眼が見えないという苦悩を憐れんでほしい。そのような願いが込められたバルティマイの懇願のひと言です。これはバルティマイの切なる「欲求」に他ならないでしょう。しかし、欲求だけではありませんでした。バルティマイが神とともに歩みたいという切なる願いが、彼の人生にとって必要なものであることを、バルティマイは心のどこかで感じていたのかもしれませんし、何よりもイエスが彼にとって、これは必要なことなのだと感じておられたのです。だからこそ、イエスはバルティマイの眼を癒やされました。バルティマイが神を賛美することができるように、その必要を現実のものとされたのでした。
私たちの「必要」とは何なのか? それは私たちにとって神は、確かに私たちの人生を大切に守り、それを導かれる方であるという、私たちの人生の「必要」である。そんなことを私自身胸にして、一週間の振り返りを行いたいと思わされました。
どうか私たちの必要をご存知である神が、私たちの欲求がどこにあるのかを識別し、私たちにとって本当に必要なことを指し示してくださいますように。その必要を大切に守り続ける心と思いを、神が与えてくださいますように。心からお祈りします。
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