09/12/2025

2025.12.9(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書46章4節
あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。
私が造った。私が担おう。
私が背負って、救い出そう。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テモテへの手紙一5章3節
本当にやもめである人をやもめとして大事にしてあげなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
昨晩遅く、東北・北海道を中心に大きな地震がありました。津波警報などもあり、安心できない夜を過ごされた方も多くあったと思いますし、安否を尋ねてくださった方々もおられました。私の住む宮城野区は震度3でしたし、津波注意報が発令されましたがすべて解除されました。心を配ってくださり、心から感謝いたします。まだ不安のなかにおられるだろう皆さんの一切のために、引き続き祈りたいと思います。
 
さて、今日のローズンゲンに示された聖書のことばを通して、まさに昨日の地震のことを思い出していました。私たちが不安に感じるのはどういった時だろうか。そんなことを感じたのです。そして、それはまさに「孤独」なのではないかと思わされました。
 
今日の聖句に共通するのは、老齢ゆえの孤独、愛する者を失ったがゆえの孤独。そのような孤独が神によって、また神の御心を我が身に負った者が、その務めとして孤独に向き合うことの大切さと幸いについて語られたものでした。私たちの孤独を孤独のままにしておかれない神が確かにおられ、しかし、その神の守りというものは、それを心から信じる者たちによっても形成されるということなのだと、私たち一人に思い起こさせるのです。
 
私が働く教会にも、一人暮らしの方がおられます。あるメンバーの方が先日お怪我をされるということがありました。身体を強くぶつけられたということがあり、痛みと思うように動けないその不自由さに、随分不便と不安を感じておられたようでした。教会で、その方の一切に神の守りが働きますようにと祈り続けました。そして、祈るだけではありませんでした。教会メンバーの方がご自宅を差し障らない程度でお訪ねし、教会からの通信や食事を届けるということがありました。その方の代わりに、教会の掃除を何人かによって行われました。
 
この前の日曜に、その方が久しぶりに礼拝に来られました。神様が、そして教会の皆さんの祈りと具体的な助けがどれだけ私にとっての力になったか。その方から感謝の意が述べられた時に、私はあらためて感じさせられたのです。神が守ってくださっているという実感は、神の守りを信じる者たちで共有されることが本当に大切なのだと。そのために信仰者の群れがあり、教会の存在意義というものがあるのだと。そんなことを想わされたのでした。
 
今日も、神の守りを実感する私たち一人ひとりがこの喜びを共有しつつ、一日を過ごすことができますように。お祈りします。

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