くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書63章19節
ああ、あなたが天を裂いて降りて来てくださったならば良いのに!
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章31~32節
天使はマリアに告げた。
あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
ここのところ、毎日黙想をお届けすることができず、心苦しい思いでいます。楽しみにしてくださっている方へは、大変申し訳ないばかりです。
朝から仙台の街は雪が降っています。随分寒い朝を迎えました。冬らしい天気は決して悪いものではないのですが、こういう時に体調を崩されないようにとただ願うばかりです。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは、「神は重い天蓋を開けられる時が来る」というものでした。そのことについて黙想したいと思います。
余談になりますが、今日12月12日は、メキシコでは「グアダルーペの聖母マリア祭」という祭りが行われます。メキシコにとっては、自分たちの国を守ってくださるのが、グアダルーペという町に500年ほど前に聖母マリアが出現したことが、自分たちの国を守ってくださる守護者であると言われていて、そのことを記念するお祭りが今日行われるとのことです。それだけ、カトリック文化圏では、救い主イエスをこの世界に降すその大きな役割を担ったマリアが根強く崇敬されていることが分かります。
今日の聖書の言葉を聴いて、天使がマリアに救い主の誕生がマリアの身体を通して起こることが告げられます。しかし、聖書が伝えるところによるそのような「受胎告知」は、決してハッピーストーリーとは言い難い現実があったことは、聖書の文脈をたどれば一目瞭然であることは間違いありません。少女マリアが「未婚の母」として、周囲の非難と好奇という視線にさらされながら生きなければならないのは明らかでした。幸福どころか、彼女はつらい目に遭わなければならなかったのです。それはまさに彼女の心を塞ぐ、重い蓋のようなものであったと思えてならないのです。
しかし、そのようなマリアに降りかかった災難にも似た出来事、そのような状況のなかで助けを叫ばんとするマリアに対して、神の言葉は何のためらいもなく降りかかります。神はこの状況のなかで、マリアだけに辛い思いをさせて苦しませる意図はどこにもありません。天蓋をしっかりと開けて、直接的にマリアを守られる神がおられることを、マリアはこの後実際に経験することになります。そして、イエスの誕生へと導かれるのでした。
私たちはこのクリスマス物語の一片に触れるときに、クリスマスとは何なのだろうかということをあらためて考えさせられるのだと思うのです。明るい、楽しい、わくわくする。クリスマスにはそのような思いを私たちを与えることに間違いありませんが、その背景にはあらゆる困難を過ぎ去らせてくださる神の守りがあるからこそ、私たちはそのような守りに支えられながら生きていくことが可能なのだと。そんなことを黙想しながら、今日の一日を過ごしていきたいと思わされたのでした。
皆さんの一日にも、私たちを守り、必要な思いを与えてくださる神がともにおられることで、幸いに包まれたものとなりますように。お祈りします。
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