くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編146編8節
主はうずくまる人を立ち上がらせる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書16章20節
よくよく言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、世は喜ぶ。あなたがたは苦しみにさいなまれるが、その苦しみは喜びに変わる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
新しい一週間がやってまいりました。そして、主の御降誕を待ち望むアドヴェントも2回目の日曜を迎えました。世界中でおこなわれる主の日の礼拝や集会のすべてが、救い主を待ち望む喜びで満たされますように。主にある一日の平安を心からお祈りします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「悲しみが悲しみのままで終わることがない」というメッセージでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、詩編の一節です。詩編146編はその全体が「神である主ヤハウェを賛美する」というテーマのもとに、一貫してその思いが詩人によって歌われています。しかし、その賛美とは、私たちの苦しみや悲しみというものが背景にあって、そのような苦痛から逃れることのできない私たちの現実に目が向けられたうえで、神が与えてくださることに私たちの希望を寄せて生きることの幸いが賛美となるということについて歌われていることが分かります。
今日の聖句では「うずくまる人を」とあります。その場から歩き出すことのできない状態です。どう歩んでよいか分からないがゆえに、ただただうずくまるしかなくなってしまうのです。私は思いました。うずくまってしまう経験をです。ごくごく小さい出来事ではありますが、10数年ぶりに東京・渋谷駅の構内を歩くということが昔ありました。学生時代はよく使用していただけに、駅を迷わず歩くことに自信がありました。しかし、十数年のあいだに駅が整備されて出口や入口、通路自体が変わってしまっていたのです。前の知識はまったく役に立ちません。道案内をたどっても分からない。ついついその場にうずくまってしまいました。
自分の経験が邪魔したのでしょう。「こんなはずはない」という思いが強すぎて、かえって前を歩くことを難しくさせました。そんなときに、私たちは自分自身のなかでつくりあげられた限界を打ち破る必要があったのです。まずは自分自身の固定観念を捨てて、地図通りに、人に尋ねながら歩きだそうとした結果、無事に行きたいところへたどり着くことができました。
私は思ったのです。自分以外の何かに頼ることの大切さをです。これこそ、私を立ち上がらせてくださる神が、今日も私の命を保ち、歩ませてくださるのだと。たとえ苦しみにさいなむことがあろうとも、すべてをご存知である神がおられるがゆえの安心感が、悲しみから喜びへと変えてくださるのだ。その思いを胸にして、今日の一日を歩みたいと思わされたのです。
こうして私たちはアドベントの一日を過ごすことができるのです。皆さんにとってもこの一日が祝福に満たされた者でありますように!
一人でも多くの方、初めて教会の礼拝にみえる方が沢山与えられるように神様にお願い致します。
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