くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編133編1,3節
都に上る歌。ダビデの詩。
兄弟が共に住むことは
何という幸せ、何という麗しさ。
主はそこで祝福ととこしえに及ぶ命を定められた。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書2章14節
「いと高き所には栄光、神にあれ
地には平和、御心に適う人にあれ。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日は2025年最後の日曜日。世界中で行われる主の日の礼拝が、クリスマスの余韻のなかで祝福に満ちあふれたものでありますようお祈りします。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは「平和な世界」というものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
今日の新約聖書の言葉は、クリスマスを代表する聖句と言ってよいものです。あの闇夜に羊飼いたちに対して天使が告げたあの言葉です。「地には平和、御心に適う人にあれ」というものですが、神が私たちにどのような平和を望んでおられるのかということが明確に告げられています。
まず、神は「平和」をご自分のものとされ、その平和を愛しておられること。そして、ご自分が造られたこの世界に対して、ご自分の平和が満ちあふれるのを望んでおられること。そして、その平和は「御心に適う」、つまり、神である主の思いや願いを積極的に受け入れ、自分自身の生き方にしようとする人こそ「御心に適う人」であるのだ。そういう人たちにこそ、ご自身の平和が豊かに臨むことを、天使は救い主イエスの誕生とともに告げたのでした。
つまり、私たちが本当に平和を心から願い、それを望むのであれば、救い主イエスの生き方に示された平和への姿勢というものを、いかに自分自身の生き方とすることができるのかということにかかっているのだ思わされます。家庭だろうと、地域社会だろうと、教会であろうと、私たちは人と人が集まる共同体のなかで、そのことを誠実に希求し、実践する者でありたいのです。
神がどんなにそのことを望んだとしても、私たちがその願いに応えることがなければ、どんなに平和、平和と叫んでも平和が訪れてくることはないのです。そのことを私たちは自分自身の生活のなかでどのように自分自身への課題とすることができるか。クリスマスの晩に語られた言葉は、私たちへの深い示唆というものを与えるものだったのです。
私たちが他者と出会うとき、そこにそこはなとない平和を感じ取ることができるのであれば、そこには神が私たちの真ん中に立ち、私たち一人ひとりをご自身の御心をもって導いておられることを、私たちが受け入れているからなのでしょう。そんな思いを抱きつつ、2025年を締めくくりたいと願わされた次第です。
私たちの誰にも、神である主の平和が豊かに満ちあふれることを信じ、実践する者でありますように。心よりお祈りします。
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