くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編71編16節
わが主よ、私はあなたの力によって進みます。
主よ、ひたすらあなたの正義だけをほめたたえます。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一1章24節
ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
2025年も残すところあと5日となりました。そして、明日は今年最後の日曜です。礼拝への良き備えができるよう、今日の一日を大切に過ごしてまいりたいと心から願います。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するキーワードは「神の力」です。この言葉について黙想をつづりたいと思います。
今日の新約聖書であるコリントの信徒への手紙一1章24節に記されている「神の力」ですが、
原語であるギリシア語には「デュナミス」という言葉が用いられています。日本語で力と訳すことのできるものですが、この言葉には「潜在力」のような、目には見えないけれど秘められたものとしての力という意味も含まれているのはとても興味深いところです。
デュナミスは「ダイナマイト」の語源となった言葉でもあります。見た目には小さなダイナマイトでも、そこから爆発する力は想像を絶するものがあることを私たちはよく知っています。私は神の力というものは、時としてそういう姿を私たちに見せているのではないかと思うのです。神の助けとか力というものが、今の私には何の役に立たない脆弱なものに見えることが私たちにはないでしょうか。とても頼りないのです。神ならばもっと大きな力を見せてほしい。そんなことを私たちはたびたび思うのではないでしょうか。
しかし、たとえ目には見えなくても、実際にものすごい腕力を見せることが無かったとしても、私たちはしっかりと支えられているという安心感へと導かれることだってあるのです。コリントへの手紙を書いた使徒パウロは、この神の力こそキリストに現れたのだということを手紙につづっているのです。
私たちはクリスマスの時に、赤子のかたちでお生まれになったキリストを見ています。赤子には何の力もないかもしれません。しかし、新しい命の芽生えに私たちは癒され、慰められ、勇気づけられることだってあるのです。そしてこの赤子はやがて、私たちのために力となってくださいました。しかしその姿は、十字架という「弱さの象徴」のなかで見せつけられた神の力に他なりません。しかし、見た目の弱さこそ揺るぎない救いという力となったことは、言うまでもない事実となって私たちに継承されたのでした。
そこにこそ、神の力の用い方の正しさ(正義)があり、この正義に導かれて私たちもまた、神の力をいただいて、神とともに歩むことができるのです。今日の旧約聖書である詩編のことばが言わんとしていることです。
この神の力によって、今日の一日を過ごすことができますように。主が皆さんを平和へと導き祝してくださいますように。お祈りします。
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