25/12/2025

2025.12.25(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
哀歌5章21節
主よ、私たちを御もとに立ち帰らせてください。
私たちは立ち帰りたいのです。
私たちの日々を新たにし
昔のようにしてください。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書2章11節
今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。そして、救い主イエス・キリストの御降誕を喜ぶクリスマスを迎えることができました。クリスマスおめでとうございます! 皆さんの一切に、クリスマスの喜びがともにあり、神が与えてくださる平安と祝福が豊かにありますように!
 
日本はこれから「正月」に向けて世の中があわただしく動きますが、私がドイツに住んでいた頃は、クリスマスイヴが大晦日の夜のような雰囲気であり、イヴ礼拝が初詣のようであり(いつも教会に行かない方々もこの礼拝には多くいらっしゃいます)、その後の2日間は世の中が休日モードになって、それはまさに「三が日」のような雰囲気でした。それだけクリスマスというのが大切な節目のときであり、「新たに更新される機会」なのだと思わされたのを思い出します。
 
そんなことを想いつつ、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に触れますと、救い主イエスがお生まれになるというのは、この世界に対する神がなされた転換の機会であり、すべてのものを新しくする更新の時だったのだと思わされるのです。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
 
今日の旧約聖書の言葉は「哀歌」の一節でした。その文字のとおり「哀しみの歌」なのです。なにゆえの哀しみだったのでしょうか。神との隔絶を味わったがゆえの孤独が、神の民を哀しみへと追いやったのでした。神は私たちとともにいてくださる。神がどんなときでも私たちを守ってくださる。間違いないことです。しかし、神の民たちはその安心感ゆえに、神とともに歩み、生きるという肝心なことを忘れてしまったのです。
 
ですから、彼らの安心感は彼らの気づかない間に「慢心」へと変化してしまいました。その慢心はやがて、自覚のないままに神から離れてしまう経験へと彼らを動かしました。神と隔絶する道を彼らは選び取ってしまいます。まさか自分たちがそうであろうと気づくことのないままにです。そして、そんな彼らに災いが臨みました。神はその時に守ってくださることはありませんでした。彼らの孤独はまさに自業自得の結果でした。
 
彼らの孤独が神のせいではなく、自分たちのこれまでの行いゆえであることを知った民たちは、隔絶された神との関係を回復したいと心から願うようになった。そんな民たちの思いが、今日の哀歌の一節によく表れています。神のもとに立ち帰り、新たな日々を歩みたい。彼らが臨んだのはまさに「自分自身が更新されること」でした。
 
あの闇夜に光輝く天使の大軍があり、そこから聞こえる歌声と宣告。羊飼いたちが見聞きしたその光景はまさに、哀歌に込められた切なる人間の願いに対する神が出された答えでした。あなたがたがそう望むのであれば、私はあなたがたを孤独には決してさせない。あなたがたの日々を更新されるように、世界の救い主をあなたがたに与える。私たちが「神とつながりたい」という思いに、神は間違いなく応えてくださっていることに私たちは改めて気づかされる。クリスマスとはそういう更新の機会なのだということを、私は今日の聖句を通して受け止めたいと思ったのです。
 
どうか今日の一日が、年末の忙しいなかにあっても良き更新のひとときとなりますように。心からお祈りします。

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