くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書37章16節
万軍の主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたが天と地をお造りになったのです。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書1章3節
万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さんおはようございます。
今日は朝から体調が思わしくありませんでしたので、ベッドで横になっておりました。休んだおかげで回復してまいりましたので、もう夕方近くになりましたが、今日の務めを始めたいと思います。暑い日々が続きますので、皆さんもお身体の調子が守られますように。お祈りします。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったことは「神がご自分の言葉を行動にされる方」というものです。別な言い方をすれば「有言実行である神」であるかもしれません。そのことをつづりたいと思います。
神が天地を創造されたときに「光あれ」という言葉から始まりました。この言葉によって、光が投じられて、秩序のもとに実にクリエイティブな神の行動が次々と起こされます。こうして、世界が調和を保ちながら祝福に満ちあふれた環境が完成していきます。ここに、神の創造の業における土台が建てられていきました。
この調和こそ、神が全世界を治められるにあたっての基本理念ですから、この調和にのっとって生きるならば、私たち人間社会も良い意味で創造的な、命が活かされ合えるような環境が生み出されるはずなのです。しかし、今の世界はあまりにも、そのような創造的な環境というものを阻害する要素が多すぎるのです。
その理由こそ、神の思いや願いが込められた言葉と私たちの行動が不一致しているからであると私は自戒を込めつつ思わされるのです。いわゆる「言行不一致」の環境こそ、私たちの環境にゆがみを与える元凶であることを、私たちは真摯に受け止めなければならないのだと反省させられるのではないでしょうか。
私たちは自分が生きるときに、何を柱にしていけばよいのでしょうか。今日の新約聖書の言葉には、天と地を造られた「言(ことば)」の存在について知らせています。これは、神御自身の行動の源である言葉そのものを表す言葉でもありますが、この福音書を書き記したヨハネは、この言こそ私たちのために命の救い主として遣わされた神の御子であることを示しています。神の御子とはまさに、イエス・キリストその御方に他なりません。
そのイエスが神の行いの基となる「言」となられているということは、私たちはイエス・キリストの生涯における言葉と行いを通して、神の調和に満ちあふれた環境を見ることができるのだということが大きな理解の助けになるということなのです。ですから、私たちはイエス・キリストこそ私たちの生きる柱なのだということを、何よりも大切にしたいと心から願いつつ、今日の聖句を受け止めてまいりたいと思ったのです。
イエスの言動に聴き、それを自分自身の生き方とする幸いが私たちのあいだに共有されることを、神は大いに助けてくださる。そんな思いをもって、今日の残りの時間と明日への備えの時となりますように。お祈りします。
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