26/08/2025

2025.8.26(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編121編5~6節
主はあなたを守る方。
主はあなたの右にいてあなたを覆う陰。
昼、太陽があなたを打つことはなく
夜、月があなたを打つこともない。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
フィレモンへの手紙3節
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにありますように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さんおはようございます。
昨日から、私の所属する日本基督教団で開催されている「教師継続研修夏期研修会」に参加しています。私は主催者側としての参加ですが、それでも多くの学びの機会に恵まれています。この研修会に参加している方も、私と同様に教会の現場で牧師として働いておられる先生方です。それら先生との交流もとても楽しく、充実した時を過ごしています。
 
この研修会では、朝と夜にそれぞれ礼拝の時を持っています。今朝の礼拝は私が担当しました。そこで取り次いだ聖書の言葉が、今日のローズンゲンに示された詩編121編でした。そのことについて、以下つづりたいと思います。
 
詩編121編。それは「都へ上る歌」と呼ばれる、一連の詩編群の一部であり、おそらく都上りの歌のなかでもっとも有名な箇所なのだと思います。都上りとは、イスラエルの民たちがエルサレム神殿を目指して行われた巡礼の旅のことでした。それは単に、神殿詣でのことだけを意味しているのではありません。私たちの人生そのものが神と出会う巡礼の旅と言えるでしょう。
 
そのなかで、歌い手は「私の助けはどこから来るのか」と自問しています。この後の部分からも分かるように、私たちにとって巡礼の旅路である人生は、必ずしも順風満帆というわけにいきません。焼き付く太陽の光が容赦なく打ち付け、不気味な月光が私たちを不安へと陥れる。まさに私たちの人生には、災いやそれに対する不安がつねにつきまとっているのです。
 
だからこそ、私を見守り、助け、ともにいてくださる御方が明らかにおられることが、私自身の慰めなのだと。その方こそ、神である主その御方なのだということが、巡礼の旅路の途上にある人々によって歌われたのでした。それは神が生きて働いておられ、私たちのために今日も共にいてくださることに対する深い信頼ゆえに口からほとばしり出た詩だったのです。
 
詩編121編の中心にあるメッセージは「主の守り」です。主の守りとは、ドイツ語でHerrnhut(ヘルンフート)と言います。まさに、ローズンゲン発祥の信仰共同体が集った場こそ、主の守りに包まれ、歩んできたヘルンフート兄弟団でした。彼らの信仰生活も決して順風満帆なものではありませんでした。信仰的な迫害、信仰者同士の不和など、彼らを襲う災いの要素などいくらでもありました。
 
しかし、ある日彼らは気付かされました。自分たちをひとつにするのは、聖霊によって導かれた神の御言葉しかないのだ。これ以来、彼らはその日を生きる「合言葉」として、神の御心を求めるべく、祈ってくじを引き、その日を生きる聖書の言葉とした。これがローズンゲンの起源でした。この営みこそ、彼らを守る神があらゆる災いから遠ざけ、私たちを幸いな者としてくださるのである、と。
 
そんなことを今日のローズンゲンに示された御言葉をもって、その取り次ぎを行いました。今日も私たちの行く道を守られる神が、ともに豊かにおられますように。お祈りします。

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