くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編29編11節
主がその民に力を与えてくださるように。
主がその民を祝福してくださるように
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テモテへの手紙二1章7節
神が私たちに与えてくださったのは、臆病の霊ではなく、力と愛と思慮の霊だからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さんおはようございます。
新しい一週間が始まりました。猛暑のなかですが、今日も神によって霊肉の健康が与えられますように。そして、神とともに生きることの幸いを私たちのそれぞれが味わうことができますように。お祈りします。
そういう意味で言えば、今日のローズンゲンによって示されたふたつの聖句は、まさに神が私たちひとりひとりに生きる活力を与えてくださることを心から感じることのできるものだったと私は受け止めました。生きる力というのは、もちろん身体的な活力というものもあるでしょう。しかし、私たちは身体的に健康であるとともに、精神的・霊的にも健康であることがいかに大切かということをも、心から感じ取りたいのです。健康な肉体は健全な精神からとはよく言ったものです。
今日の聖句は、神が私たちの霊的な部分の健康のために、聖霊の助けを十二分に注いでくださることを黙想できるものであると私は感じました。新約聖書の言葉は、使徒であるパウロがその若き同労者であるテモテに対して勧めている言葉です。臆病という言葉が登場します。私たちは大なり小なり、いろいろなことで不安を抱く存在です。その不安に満たされると、心が思いだけでなく、胃腸に変調を来たしたり、頭痛や不眠などを起こしてしまうことで健康が徐々に損なわれることがあります。悩みがあると、私たちはそのような状況にすぐなってしまうのです。その源こそ、私たちが誰でも抱く臆病であるというのです。
しかし、神がご自身の霊をもって現わしてくださるのは、力と愛と思慮とあります。神の力は決して暴力的なものではなく、愛せないときにそれでも自身が神によって愛されていることへの実感によってにじみ出てくる愛するということへの理解、それが決して感情的なものではなく、理性をともないながら用いることのできる安定した愛、そういう目には見えない静かな神の力というものが、聖霊の助けを通して私たちの各人に与えられるというのです。
そのような神の力が、私たちを霊肉ともに活かしていく。そして、そのように生かされた命のあるところには、必ずや神が祝福してくださっているということへの実感があふれ、それが分かち合われるところには、必ず神の平和で満たされていくことを物語っている。そのことを胸にして、この新しい一週間を営んでいきたいと願わされました。
まずは、その先駆けとなる今日の礼拝が祝されますように。神が私たちのために準備してくださった礼拝に招かれて、私たちが心からそのことを喜ぶ者でありますように。皆さんの主にある守りと平安のために祈りつつ、今日の一日を過ごしてまいりたいと思います。
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