23/07/2025

2025.7.23(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編18編20節
私を広い所に導き出した。
私を助け出し、喜びとしてくださる。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一15章10節
神の恵みによって、今の私があるのです。そして、私に与えられた神の恵みは無駄になりませんでした。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さんこんにちは。
今日もお昼近くになりました。私は今朝から家事をしたり(梅干しの土用干しの作業をしていました)、急ぎの仕事をいくつかしておりましたので、ローズンゲンに向かうのが今の時間となってしまいました。落ち着いて神の言葉に向かうことが難しいときに、私の心には何ともいえない焦りがあったりもします。だからこそ、心を落ち着かせてこの時間を大切にしたいと思いました。実に自分自身の弱さというものを痛感しつつ、今日のローズンゲンによって指し示された御言葉を前に静まりたいと思います。
 
今日のふたつの聖句を通して感じたことは、まさに「心のゆとりを与えてくださる神への信頼」ということを、私は受け止めたいと思いました。スケジュールが立て込んでいるなかにあって、心が狭くなっていくのを実感していたからです。差し迫ったものに焦りを感じるときに、とても心のゆとりを持つことが、それを保つことを難しくさせている自分自身に気付かされるのです。もっと仕事を減らしてみてはと聞くことも多くあります。しかし、仕事量が多かろうと少なかろうと、大切なのはそういう時にどういう心持ちというものを大切にするか、ということなのでしょう。
 
タイトな時だからこそ、神が私たちに立ち止まること、ご自分と向き合うことで冷静さと喜びというものを再び気づかせてくださるのだと。今日の詩編の言葉はまさにそういうことを述べているのではないかと思うのです。それが1分でも10分でも良いのだと思います。少しでも神を思う時間が与えられているのです。そわそわした時にこそ、神が私にご自分の言葉を通して、祈りの時を通して、物事を冷静に考えるスペースというものを私自身に気付かせてくださる。そのことを大切にしたいと思ったのです。
 
こういう営みの繰り返しが、私にとって「万事が無駄なものでは決してなかったのだ」という実感に変われば、すべてが神の助けのもとになされていることを自分自身の生き方とすることができる。そんなことを胸に抱きながら、午後の活動へと進んでいきたいと思いました。午後には訪問聖餐の時が待っています。心にゆとりをもってひとつひとつの出来事に誠実に向かって行きたいと思いました。もちろん、神がそうしてくださることを心から信じつつです。
 
どうぞ、皆さんの午後のひと時にも、神が落ち着きと喜びを豊かに与えてくださいますように。皆さんのために、そして私のためにも祈りたいと思います。

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