くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編119編36節
不当な利益にではなく
あなたの定めに私の心を傾けさせてください。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テトスへの手紙2章7~8節
あなた自身、良い行いの模範となりなさい。教える際には、高潔で品位を保ち、非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。そうすれば、敵対者は、私たちについて何の悪口も言うことができず、恥じ入るでしょう。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さんおはようございます。救い主イエスの復活を祝うイースターから数えて14日目を迎えました。そして、今週も最終日を迎えました。世の中はゴールデンウィークの後半期に入り、今日からお休みをされる方々も多いかと思います。どうぞ今日の一日が皆さんにとって素敵な時となりますようにお祈りします。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して想わされたことですが、私は「神の品格によって私たちの人格が磨き上げられることへの幸い」と受け止めました。そのことについて黙想したいと思います。
今日の新約聖書の言葉は、「テトスへの手紙」の一節です。テトス書はその前に収められている「テモテへの手紙」と並んで、キリストの弟子たちとされ教会へ集められた人々に対して、それらの人々をキリストから預かった者としての務めについて記された勧めの手紙です。伝道者パウロによる勧めの言葉として、これらの手紙が書き記されています。
私はそれらの勧めが語られているなかで、「健全な言葉を語りなさい」というところに注目しました。そして、健全な言葉を裏打ちするものとして「高潔で品位を保った」態度であることが記されています。では、高潔さは何か、品位とはどのような品位のことを指すのでしょうか。私はキリストの高潔さであり、キリストの品位であると受け止めました。
私たちは道徳的に高潔であることとか、上品に振舞うということが宗教的な努力目標として考えることできるかもしれませんが、それが「何に基づいているのか」というところを明確にしておかなければならないと私は思うのです。それが私たちにとってはキリストに他ならないということなのです。キリストが私たちのために何を思い、どのように感じられてご自分の言葉を私たちに与えられたのかということが私たちの言動の基本となるのだと。そのために、キリストは私たちの基盤・土台となってくださいました。
私たちがキリストを土台とした言葉を、キリストの高潔さ、キリストの品格によって健全に語るところに誠実であるならば、敵対者すら太刀打ちできないのだということが語られています。それは語る者の強さではありません。語る者のオリジナルな高潔さや品位でもありません。キリストの誠実さを前にしては、誰もその前に黙らざるを得ないということなのです。ですから、私たちは誰かに好戦的かつ挑戦的に何かをひけらかすのではなく、ただキリストが示された高潔さと品位によって生きることができるならば、そこには幸いがおのずとあふれてくるのだろうということを受け止めたいと思ったのです。
そのことをもってこの一週間を振り返りつつ、明日への備えをしてまいりたいと思います。皆さんにとってのこの一日も、主にあって健やかでありますように。重ねてお祈りします。
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