09/04/2025

2025.4.9(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編34編6節
主を仰ぎ見る人は輝き
辱めに顔を伏せることはない。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書13章15節
私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのだ。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
四旬節31日目を迎えました。今朝は少しゆっくりと休んで、少し遅めの黙想をしています。聖書の言葉に耳と心を傾けながら、今日の一日を過ごしてまいりたいと思います。
 
神である主ヤハウェを仰ぎ見る。今日の旧約聖書・詩編の一節です。仰ぎ見るとはどういうことなのかについて考えてみたいと思いました。顔を上にあげて見ることを仰ぎ見るというわけですが、仰ぐという言葉には尊敬の思いをもってという意味もありますので、天におられる私たちの神に対する心からの尊敬の気持ちを抱きながら私たちが生きるところにこそ「仰ぎ見る」という言葉の本質を私たちは見ることができるわけです。
 
私たちは自分の足元を見たり、普段生活している目線の範囲内を見渡したりすることはよくあります。つまずいて転んだり、たがいにぶつかり合うことのないようにするために、見るということを大切にしているのだと思います。しかし、空を見上げること、自分自身の視線を生活目線ではないところに置くということは、やはり意識しない限りなかなか無いことなのだとあらためて思わされるのです。だからこそ、仰ぎ見るという出来事は決して当たり前のことではなく、私たちが心がけて行うことなのだと思うのです。
 
つまり、神である主は私たちのことを常日頃からご覧になられていますが、私たちが神と同じように常に神を見続けるということは、実は簡単なようで難しいことなのだと思うのです。ついつい自分自身のことや周囲の人間関係のほうに関心が向いてしまうと、その時に神の視点、神の視線というものを考えることなく、自分のしたいようにしてしまうのかもしれません。
 
今日の新約聖書の言葉は、十字架にかけられる前夜に弟子たちに対して語られた言葉です。弟子たちのために言葉と行いによって私たちに模範を示されたイエス。そのイエスが弟子たちに自分が示した生き方を模範として、あなたがたも自分たちの生き方としなさい。そのように語られているのです。
 
これは何か決められた形式ではありません。生き方を支える心と視線によってかたちづくられるものなのだと私は思います。その時その場所によって、私たちにはその状況に適した生き方というものが求められます。だからこそなぜを問い、そのたびに空を見上げるように神を仰ぎ見るのです。そして、イエスが私たちのためになされたことを思い巡らせながら、生きる道というものを探し出しつつ。示された道程を一歩一歩進み行くことができるのでしょう。
 
私たちはイエスの示された模範を100%模倣することはできませんが、その精神を心に抱きながら新しい一日を歩もうとする思いを確かめることはできるのです。そのときにこそ神がともにいてくださり、私たちの生き方を助けてくださるということに、是非自分自身の関心を寄せていきたいのです。
 
神が私たちを照らし、神の輝きで一日の営みを光らせてくださいますように。心からお祈りします。

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