01/04/2025

2025.4.1(火)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編146編7節
主は
虐げられている人のために裁きを行い
飢えた人にパンを与える。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二9章10節
蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたに種を備えて、それを増やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
四旬節24日目を迎えました。そして、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するテーマは「パンを与えられる神」であると私は受け止めました。パンとはなにか、そのことについて綴ってみたいと思います。
 
私たちの命をつなぐ食物でも主食となるものを、聖書では「パン」という言葉で表現しました。主食ですから、最も大切なものであると同時に、ありふれたもの、手に入りやすいものとも考えることができるでしょう。ただ、私たちはありふれたものであればあるほど、それが「本当に大切なもの」としてどれだけそれをみなすことができるだろうか、とも思わされるのです。
 
昨年、日本では主食であるコメが高騰したことがありました。それは今でも続いているわけですが、いざ当たり前のものが無くなるのが分かると、何となく私たちの心が騒ぎ、ちょっとした騒動から社会問題となることを経験からよく知っています。本当に大切なものは何かということを、常日頃から意識しておくことは本当に大切なことなのだと痛感させられます。いざそれが欠乏してあたふたすることのないようにです。
 
今日の新約聖書の言葉は、私たちにとって最も大切なものであるパンを通して、神は私たちに義の実というものを増し加えてくださると伝えています。義とは神の正しさのことであり、私たちが日ごろから最も大切なものを大切なものとして受け取り続けていくうなかで、神の正しさというものを自らのなかで増し加えることができるというのです。
 
神の正しさは、聖書を通して与えられる神の言葉の本質によって明らかにされます。それを私たちが理解しようとするときに、聖霊はそのために大きな助けとなって私たちの心を促してくださいます。神の正しさによって生きようとするときに、神は私たちにパンを与えてくださるように、ごくごくありふれたものから宝を生み出す力というものを私たちに分からせてくださるために、私たち一人ひとりに働きかけてくださいます。
 
たとえ、大切なものに事欠いてしまい、飢えや虐げられるような感覚に陥ったときにでも、いや、そういう時だからこそ、神は私たちにパンを惜しみなく与えてくださる。そういうことを通しても、私たちは本当に大切なものが何なのかに気付くことすらできるのです。今日の旧約聖書の言葉が物語るエッセンスと言ってもよいでしょう。神の裁きを通して、神の正しさが私たちに慈しみと憐れみをもって私たちに応えてくださるというのですから。
 
今日も神の言葉というパンが私たちに与えられました。このパンが私たちの霊的な、そして精神的な命を健やかに保たせてくださることを喜ぶことができますように。皆さんの一日のためにお祈りします。

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