くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
マラキ書1章11節
日の出る所から日の沈む所まで、諸国民の間でわが名は大いなるものとされる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書8章11節
東から西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に宴会の席に着く。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
******
皆さん、おはようございます。
四旬節第2日目の朝を迎えました。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するのは「日のいずるところから沈むところまで、つまり東から西まで、神の世界がすべてにおよんでいる」というテーマであると私は受け止めました。このことについて、黙想したいと思います。
昨日のニュースで、アメリカ合衆国のトランプ大統領が施政方針演説をしたことが報道されました。約100分にわたる、史上最長の米国大統領の施政方針演説だったとのこと。アメリカ政治にそんなに詳しいわけではありませんが、つい先日のゼレンスキー・ウクライナ大統領との舌戦の直後だけに、トランプ大統領がどのような演説をするのかは少なからず興味がありました。
あれが政治的演説と呼ばれるものなのかもしれませんが、かなりストレートなモノの言いであり、前の民主党政権をけちょんけちょんにこき下ろすあたりは、私としては「もう少し紳士的な言い方はできないのだろうか」とちょっと思ってしまったくらいです。しかし、そのことよりも思ったのは、アメリカは世界の上に立つ中心国であるという自負がやはりあるのだなということでした。まさに、東から西までアメリカの手中にあるかのような意識がどこかにあるのではないだろうかと思ったのは私だけでしょうか。
アメリカ合衆国は、神の信託によって建てられた国であるという自負ゆえのことなのか、しばしば「神の国アメリカ」と呼ばれるのも、このような姿勢や態度から理解できるような気がします。しかし、私はアメリカ国民ではありませんし、ひとつの国家だけが神の国を構成するという考え方は、アメリカからすれば外国人である私からすれば、やはり違和感を思わずにはいられないというのも、正直な意見です。
今回、アメリカがロシアとウクライナの和平の使者として名乗りを上げているのも、第二次世界大戦後の日本に対して、アメリカが多分に関わり続けているのも、神の国の代弁者としての純粋な意識ゆえのことなのか、それとももっと俗っぽい国益重視ゆえのことなのかは分かりませんが、私としては、東から西にいたるまで神の世界があるとは、私にとって何を意味するのかということを、既存の国家の枠を超えて考えるべきなのだろうと、やはり思わされるのです。
国家の枠を超えて神の世界がここにあるということを、国家というかたちの問題ではなく、心の問題として私はとらえたいのです。どんな者をも愛しいつくしまれる神が、そのことをなかなか理解できない人間のために、平和の使者であるキリスト・イエスを与えてくださったという事実を、今の世界情勢を眺めつつ、自分自身に突きつけられた課題としてどのように受容できるのか。四旬節の期節だからこそ、こういうことに思いを寄せる一日でありたいと心から思わされた次第です。
今日も救い主イエスにあって、平和を望む一日でありますように。世界の平和を心から願いつつ、祈りを合わせたいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿