24/02/2025

2025.2.24(月)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
アモス書6章6節
鉢でぶどう酒を飲み
最高の香油を身に塗るが
ヨセフの破滅に心を痛めることがない。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙5章18節
酒に酔ってはなりません。それは身を持ち崩す元です。むしろ、霊に満たされなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
まず、皆さんに祈ってもらっていた私の伯父が、昨朝神の御許に召されました。ちょうどローズンゲン黙想を打ち込もうと思っていた時に施設から連絡があり、午前の礼拝を済ませてから施設へ向かいました。伯父の顔はとても安らかであり、必ずしも十分にケアをすることができなかった私にとって、大きな慰めとなりました。伯父の身体を礼拝堂に安置してもらい、水曜日に弔いの式を行うことになりました。父に続いて身内の葬儀を執り行うこととなります。心を込めつつ、祈りつつその時を過ごしてまいりたいと思います。皆さんのお祈りに心から感謝いたします。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通する言葉は「酒」です。そして、そのどちらも身に破滅を招き、身を持ち崩すものとして酒という素材が用いられています。私は酒飲みですので、この言葉は額面通りに受け取ることに対しては何となく違和感がありますが、ではこれらの言葉を神の言葉として受け入れるには、どのような思いを抱くことが大切か。そんなことを黙想しました。
 
確かに酒で身を持ち崩すということはしばしばある話で、キリスト教、特に禁酒運動の担い手になった19世紀のプロテスタント教会では、実際に酒で家庭崩壊をした事例が後を絶たなかったので、この聖書の言葉がさかんに用いられたという歴史がありますし、その背景が日本宣教につながったことから、今でも酒の存在がネガティブに捉えられている面を否定することはできません。
 
ただ、私はあらためて思うのですが、これは酒に限ったことではないのですが、私はそれそのものに害悪を求めるのではなく、それを用いようとする人間の態度に関心を向けたいと思うのです。それでもし、私たち自身の態度が害悪に向かうのであれば、それは神の御前にどうあるべきなのかということを、私たちは自分に与えられた判断と決断によって明確にすることが、このような聖句に触れる際に必要なことなのでしょう。
 
身を持ち崩すほどに依存してしまうような素材や態度であるならば、なにも酒だけには限らない話なのだということだと私は思います。つまり、神よりも依存してしまうような何かに対して、私たちは自分自身の判断と決断を神とすることのないように、何事にもとらえることができるような態度を大切にしたい。それが今日の聖句を通して私が受け止めたいと思ったことです。
 
過ぎたるは及ばざるがごとし。今日も神の御前に自分自身を、御言葉と聖霊の助けによって整えつつ、神からの祝福を十分に受ける者となることができますように。皆さんの主にある守りと祝福を、心からお祈りします。

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