くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
箴言10章28節
正しき者の望みは喜びとなる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ルカによる福音書12章36節
主人が婚礼から帰って来て戸を叩いたら、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖書の言葉は、どちらも「希望」を持つ心構えのようなものを私たちに示唆していると私は受け止めました。そのことについて綴ってみたいと思います。
今日の旧約聖書の言葉は、箴言10章の一節でした。正しき者の望みは喜びとなる、とあります。ここであらためて確認したいと思ったのは、正しい者とは誰かということです。また、正しい者というのはどのようにしてつくりあげられるものなのでしょうか。
旧約聖書において、正しい者とは誰かという問いに対して、正しさを持っておられるのはただ神だけであるというのが、一貫して語られていることです。ですから、私たち人間のうちで誰が正しいのかと言えば、神との関係性のなかで生かされている人ということになります。もしくはこういう言い方もできると思います。神が私たち一人ひとりに関係性を求めておられるその声に、答え応じる人が神の正しさによって生きることが出来る者であるということです。
つまり、神が思い、願い、望んでいることをないがしろにして、自分自身が神を一生懸命信じています。私はクリスチャンですと言っても、それは実に希望を生み出すことのない空しい出来事なのだと私は自戒を込めて思うのです。私たちの希望は、神の抱かれる希望に連動されてこその希望だし、そのためには神がご自分の言葉と助け主である聖霊の助けによって、私たちに何を願っておられるのかということを、謙虚に、真摯に尋ね求めることが大切なのだと私は受け止めたいのです。
そのようにすることで生み出される希望は、神と私たちが「喜び」でしっかりと結ばれている源となるのでしょう。そのような神との関係性を是非いただいていきたいのです。救い主が私たちのもとへやってくる希望。今日の新約聖書の言葉が語るところの主旨がそこにあります。アドヴェントの一日一日を通して、私たちがそのような希望というものをいよいよ本格的なものへと自分自身の思いを神によって高めさせてもらえるように、今日も一日を過ごしてまいりたいと思います。皆さんの新しい一日に、希望を与える神である主がともなってくださいますように。お祈りします。
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