くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書61章6節
あなたがたは主の祭司と呼ばれ
私たちの神に仕える僕と言われる。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一4章1節
こういうわけですから、人は私たちをキリストに仕える者、神の秘義の管理者と考えるべきです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
昨日は私個人の事情で黙想をお休みしましたが、今朝より再開したいと思います。どうぞよろしくお願いします。最初にお祈りくださっている私の左眼についてですが、日に日に見え方が改善しています。100のうち60くらいまで見えるようになりました。視界はぼんやりとではありますが、左眼が過剰に疲れることがなくなってきました。明日病院で精密検査がふたたび行われて、そこで今後の治療方針が決まってくるかと思います。祈りつつ臨みたいと思います。
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通の葉「仕える」という言葉でした。仕えるとは何か、そんなことを考えたいと思いました。仕えるという言葉には、仕えられる人とその人に仕える人との関係性をその意味として想像することができますが、仕える側の責任は主人を助けるということにあります。
では、主人の言うことさえ聞いていればそれで良いのかと言えば決してそういうことではなく、心から仕えるために、なぜ主人はそのような命令や指示を与えているのだろうかということに対する深い理解も求められているのだと私は思うのです。そもそも助けるという言葉には、機械的に物事を行う以上のことが含まれていると私は思うのです。
実際に、今日の「仕える」という言葉は「助手となる」という意味も含まれているのはとても興味深いことです。私たちが神の助手となるように仕えているのだろうか、それだけ神の思いや願いというものをどれだけ理解しているだろうか、そんなことをいろいろ問わされるのです。もちろん、完璧に神の助手となることなどできません。しかし、神が私たちを管理者としてくださるという今日の新約聖書の言葉に信頼して、神に助けられながら私たちも神のお働きを支え、助けるということに心を寄せたいと思いたいのです。
そのような神との関係性が、今日も私たちの営みを豊かにしてくださいますように。主の守りと祝福を心よりお祈りします。
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