くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編119編73節
御手が私を造り、堅く立ててくださいました。
私に悟らせ、あなたの戒めを学ばせてください。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
テサロニケの信徒への手紙二2章15節
しっかり立って、私たちが言葉や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
神が私をこの地に立たせてくださるから、私は生きることができるのだ。私の命を喜ぶことができるために、神よ、そのことを私に教え諭してください。
そんな詩人の息づかいを感じることができる、今日のローズンゲンに示された旧約聖書のことばです。私たちは、座っていても、寝込んでいても、うなだれていたとしても、生きることができるでしょう。そのようななかで、あえて「立つ」という言葉が用いられていることに、私は心を寄せたいと思いました。立つとはなにか。それは単に二足で立ち上がるという、物理的なことを言っているのではないのではと思ったのです。
良い意味で自立して、良い意味で依存する。私は自立と依存の関係性について、信仰という観点から最近しばしば考えることがあります。自立というと、誰の助けも借りずに、別の言い方をすれば依存しないで生きるということなのだと耳にすることがあります。確かに人に依存する、また共依存のような関係性がしまざまな問題を生むこともあるでしょう。しかし、私たちは孤独に生きているわけではありませんから、日々人間関係のなかで生活している以上、人と人との関わりというものを無視することはできないのです。
人はなんらかの依存をしないと生きていくことはできません。ただ、その依存が不完全なものとならないように、健全な依存とは何かを理解する必要があると思います。私は依存して憚らない相手が神であると思っています。神が私たちの心を立たせてくださるお方です。私たちに必要なことがあるとしたら、そういう神がおられる。今日も私とともに歩んでくださるのだということを、私たちが今日生きるための希望とすることなのだと、私は思います。
そのために、私たちには聖書のことばが与えられていますし、聖霊様の導きと助けがあるのだと思います。神に依存するところにこそ、私たちの自立があるのだ。自立し合う者たちが互いに神を中心として健全な依存関係が生み出される。そんなことを、今日の聖句から感じたのでした。
今日も神にあって素敵な一日でありますようありますように。心からお祈りします。
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