10/10/2024

2024.10.10(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
エゼキエル書37章11~12節
主は私に言われた。「彼らは、『我々の骨は枯れ、我々の望みはうせ、我々は滅びる』と言っている。それゆえ、預言して彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。私の民よ、私はあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げる」

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙一15章42,44節
死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものに復活し、自然の体で蒔かれ、霊の体に復活します。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。

今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して語られているテーマは「復活」です。それも枯れている、朽ちてしまったものが、神の御手によって活き活きとした、みずみずしいかたちへと復活することが約束されています。
 
復活する対象は、私たち人間です。それは死者の復活のみならず、死んだようになってしまった私たちが、神の御手によって再生の機会をいただくということをも含めた、命の復活のことを示しています。
 
命の復活が神によって提示されれば、その提示を目の前にして、そんなことがあるはずないとあきらめ、あらがう人々の心が露呈されるのも、聖書が物語るところです。今日の旧約聖書・エゼキエル書に書かれたことばのなかには、人々のあきらめの姿が描かれています。時は、強国バビロニアによって捕虜状態となっていた時代のことです。本当に祖国に帰ることができるのだろうかと、人々は自分に置かれた状況のなかで、希望を抱くことができない状況でした。
 
そして、新約聖書のことばであるコリント書には、イエスが復活のからだをもって人々にその希望を表したのにもかかわらず、人間の命の復活などありえないという人々の気持ちが、コリント教会を支配しようとしていたことが手紙につづられています。つまり、いつの時代にも、復活ということに対する人々の願いや思いというものが脆弱に働いてしまうということを、私たちは聖書の言葉から読み取ることができるのだと私は思うのです。
 
しかし、そのような人間の惑いや疑いに対して、神の言葉が働くというのが、今日の御言葉の伝えんとしているところなのかもしれません。枯れたところ、朽ちているところから、必ず神は私たちを引き上げてくださり、みずみずしさをお与えになると約束されておられます。この約束に、私たちひとりひとりが与ることができるのだというのです。現に、バビロン捕囚の身にあった神の民たちは、間違いなくエルサレムに帰還することができました。いつになるかはわからない。しかし、神はベストと定められたその時に、必ずご自分の告げた約束を果たされるというのが、私たちの希望へと直結するのです。
 
今日もそのような時が私たちの目の前に提示されています。そのことに希望を寄せつつ、今日の一日を生きることが出来ますように。お祈りします。

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