02/10/2024

2024.10.2(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書49章10節
彼らは飢えることも渇くこともなく
熱風も太陽も彼らを打つことはない。
彼らを憐れむ方が導き水の湧く所に連れて行かれるからだ。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書4章15節
主よ、渇くことがないように、また、ここに汲みに来なくてもいいように、その水をください。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。昨日は、黙想する時間を十分に取ることができず、皆さんへお届けすることができませんでした。待っていてくださった方々へは、本当に申し訳ありませんでした。
 
黙想(瞑想とも言えるかもしれません)をするというのは、一日の営みのなかで自分自身の心を整えることのできる、とても大切なひと時であることを思わされます。ある人は言いました「朝の15分があなたを変える」と。15分といえば、何かをしているあいだにあっという間に過ぎてしまう時間かもしれません。しかし、その15分ですら確保できない私自身を思う時、それは物理的な時間が取れないのではなく、私のなかにある余裕のなさがそうさせるのだと思えてならないのです。
 
だからこそ、時間が取れない時にこそ、あえて15分の時間を、聖書のことばに聴きながら黙想することがやっぱり大切なのだと痛感させられます。朝の黙想とは、朝起きて飲むコップ1杯の水のようなものなのかもしれません。朝起きがけに飲む水は、寝ている間の渇きを癒して、細胞じゅうに水分が行き渡るのを感じられる心地よさがあると私は思っています。瑞々しい感覚をもって一日を過ごすことのできる。そのための水なのだと。
 
今日のローズンゲンに示された聖句は、どちらも「水」について触れられているものです。渇きを癒す水の存在です。この言葉が語られたイスラエルも、いよいよ秋がやってまいりました。半年間も雨の降らない季節が続いた末に、雨がぽつりぽつりと降り始めるのです。熱風が容赦なく私たちを襲うなかで、私たちは渇きます。この渇きゆえに、私たちは誰かにヘルプを心の底から求めるのです。
 
今日の聖句は、その水を与えるのは神でありイエスであることがわかります。しかし、その水は私たちが渇望しない限り、喉をうるおすことはありません。私たちの苦しみを訴えるところには、必ずなんらかの形で、いのちの水を与えてくださることを、心から信じたいのです。そのために、今日もたった15分間であったとしても、静かに黙するひと時を持ってまいりたいと思います。
 
どうぞ今日も、神とともにあってうるおいを感じることのできる一日でありますように。お祈りします。

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