くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
サムエル記下2章26節
アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまで剣で決着をつけようとするのか。悲惨な結果になることが分からないのか。」
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書26章52節
イエスは言われた。「剣を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
昨日はそれぞれの場において、週のはじめの日を祝われたのではないかと思います。私も東京にある常盤台バプテスト教会(日本バプテスト連盟)で、礼拝メッセージとカルトに関する学びの会の機会をいただくことができました。特に「カルト」という魔物とも言えるものに向かい合う者として、どのような心構えが大切かについて、大切なことを共有することができたと思っています。
カルトという魔物に刃を向ける。私たちはそういう感覚をもってカルトというものを見ているかもしれません。恐怖を与える敵というイメージです。しかし、そのような相手がたとえ魔物であろうとも、そこに私たちが向き合うとすれば、キリストが示された愛をもってでしか戦えない。刃を向けるのではなく、ただキリストの愛がカルトに囚われた人々を解放へ向かわせることを堅く信じるところにこそ、究極のカルト対策というものがあるのだと、私は信じてやみません。(もちろん、それは「改宗」が究極の道だということを言っているのではありません。キリストの愛に示された真髄こそ、カルト対策には必要だということを言いたいのです。)
今日のローズンゲンに示された聖書の言葉は、まさにそのことを言っているのだと私は受け止めました。刃に刃を向け合い、血が血を見るような応酬に、平和をみることは絶対にないのだと私は思うのです。旧約聖書には、好戦的な場面を私たちは見ることがあります。しかし、今日のサムエル記下の言葉にも示されているように、好戦的であることを決して肯定することのない御言葉があることを想うと、本当にホッとするというのが正直な心境です。あらためて、聖書を総合的に読むことの大切さというものを、心から感じさせられるのです。
何か大切なものを守ろうとするがゆえに刃を向ける。イエスの窮地を守らんとするために、弟子のひとりが兵士の耳を切り落としました。しかし、そのことをたしなめ、刃物を収めるように弟子に命じられたのは、他ならぬイエスであったことを私たちは忘れてはならないのだと。そのようなイエスの思いを我が胸に刃で刻みつつ、今日という一日を歩んでまいりたいと思います。皆さんの新しい一日に、神の平和がともに、豊かにありますように。お祈りします。
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