03/10/2024

2024.10.3(木)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
イザヤ書44章26節
僕の言葉を成就させ
使者の計画を実現させる。
エルサレムについては、「人が住むようになる」と
ユダのそれぞれの町については、「再建され
 その廃虚を私は復興させる」と
 私は言う。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ペトロの手紙二1章19節
こうして、私たちは、預言の言葉をより確かなものとして持っています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗いところに輝く灯として、この言葉を心に留めておきなさい
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
 
言葉を私の「光」とする。
今日のローズンゲンに示された、ふたつの聖句が語りかけるメッセージです。
 
今日の新約聖書であるペトロの手紙は、待てど暮らせどキリストが私たちのもとに助けを携えてやってこられないことに、一体いつになったらイエスは約束通り再臨してくれるのだろうかと疑いを抱かんとしている人たちに向けて綴られた手紙です。
 
つまり、待ち続けるために、灯火を灯し続ける油を必要とする人々に、何を油にするべきかをこの手紙の筆者は明らかにしています。それは何か、神の言葉こそ、私たちにとっての大切な油なのだということを明らかにしているのです。
 
預言の言葉に示された確かな約束は、いつの時代にも神によって民の一人ひとりに与えられました。今日の旧約聖書の言葉も、イザヤを通して神から与えられた預言でした。今日の旧約聖書の言葉も、イザヤを通して神から与えられた預言でした。バビロニア帝国によって捕虜の身となり、不便を強いられ続けていた。ユダ(イスラエル)の民たちに神は語られます。あなた方は必ず解放され、祖国に戻り、国を再建することに携わるのだと。
 
イスラエルの民は、この時が来ることを心から待ち続けていたに違いありません。しかし、数十年にわたる捕虜生活のなかで、ときには待ちくたびれてしまったこともしばしばあったのではないかと思うのです。一体いつになったら、祖国に戻れるのだろうかと。待てど暮らせど、その時がやってこない。もう自分たちには、そのような時がやってくることはないのだろうかと思ったに違いないのです。
 
しかし、そんな中でも、彼らは、一縷の望みとして、神の預言の言葉を自分たちが生きる希望の源として、大切に保ち続けていきました。これが、灯をともすために必要な油に相通じていくのだと私は思うのです。そして、その言葉を今日生きる私たちもまたたき、そして心の中に保つことができるというのです。
 
実際に、バビロン補修のなかにあったイスラエルの民は、祖国に戻ることもできたし、神殿を再建することだって神が可能としてくださったのです。神はご自分の言葉を裏切らず、必ず私たちにその結果を見させてくださる方なのです。
 
一体いつまで待たなければならないのですかという時ほど、私たちは神の言葉に帰りたいと思います。神の言葉に込められた約束を、私たち一人ひとりが今日を生きるための糧として大切に保ち、温め続けることができますように。神の言葉が、皆さんにとっての希望となりますように。心からお祈りします。

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