くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
申命記4章31節
あなたの神、主は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも、あなたを滅ぼすことも、ないからである。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネの手紙一5章14節
何事でも神の御心に適うことを願うなら、神は聞いてくださる。これこそ私たちが神に抱いている確信です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
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皆さん、おはようございます。
何事も「神の御心に適うなら」神は聞いてくださる。
今日のローズンゲンに示された、新約聖書の言葉です。そしてこのことが、神を信じる根拠(確信)であると、この手紙で告げられているのです。私たちはなぜ神を信じることができるのか。私の思いや願いが「神の御心」に適うものであるならば、必ず神はその願いを聞き入れてくださるということなのです。
私たちが願い、また祈ることはたくさんあるでしょう。しかし、その願いというものが、本当に「神の御心」に適うものなのかどうか。私たちはこのことを心から意識することが必要なのだと思わされます。祈りが聞かれない、どうしてこんなに祈っているのに、神は私の願いを聞いてくださらないのか。私たちはそんな思いを抱くことがあるでしょう。神に見捨てられているのではないだろうかという感覚すら、疑念とともに私たちは抱いてしまうのです。
しかし、それは決して神に見捨てられているということではないのです。はるか大昔、エジプトから脱出して約束の土地へと旅立った指導者モーセとイスラエルの民たち。しかし、歩けど歩けどその土地にはたどり着くことがありません。まるであてのない旅を続けているように、イスラエルの民たちは音を上げてしまいます。神は本当に私たちを導いてくれているのだろうか。そんな民たちの疑念が沸き起こるなかで、モーセを通して「神の御心」が語られました。それが、今日の旧約聖書の言葉です。あなたを見捨てることも滅ぼすこともないのだと、民たちに語りました。
願いが叶わないとすれば、それは神が私たちを見捨てた結果ではなく、神と私たちのチャンネルが合っていないということなのでしょう。神のご計画は、私たちが考えるようなプランとは別な道で、もしくは別なタイミングで働いているということなのだと。だからこそ、私たちは神のご計画に秘められた「御心」を、尋ね求めることが求められているのだと思うのです。
そのために、私たちに与えられているのが神の言葉である聖書と、聖霊の助け、そして見えるかたちでの信仰共同体である神の民の群れである教会や集会での交わりなのでしょう。そういうところから私たちが「神の御心」を知るときに、私たちもまた神とチャンネルを合わせるべく、神が発しておられる電波というものをキャッチできるのだと私は受け止めました。
どうか今日の一日も、神が発しておられる御心に、私たちひとりひとりが接続することができますように。そのように働いてくださる神とともに歩む幸いを想いつつ。皆さんの一日に、神の助けと幸いを心から祈ります。
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